第66回 平成維新の予兆
ゴールデンウィークに、明治維新の原動力になった長州藩の中心地、山口県の萩に行ってきた。
幕末の時を観てみたい思いと、人口5万にも満たない小さな田舎町で、倒幕を果たした高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、村田蔵六をはじめ、何故同じ時期に同じ地域であれだけの傑物が出現したのだろうか?
萩には、いまだに当時の歴史を感じる塀が街並に残っており、萩焼きの店が何処にいっても目に入り、街の人々は誇りを持って凛として暮らしている独特の風土を感じた。
時代を変革した発祥の地としての文化と誇りを持って生活している人々の姿は、古き「日本人」を観る思いがした。
当時、薩摩藩の西郷隆盛、桂小五郎、坂本竜馬が集い、薩長同盟を結ぶ場となった旅館が、まだ現存していた。
その旅館の女将に、「何故この地に当時、こんな傑物が生まれ育ったのか?」聴いてみると、「それは、毛利家の歴史背景と二人の人物がいた」と教えてくれた。
その一人は、1857年に私塾松下村塾の塾長として、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文、山県有朋ら約80人の門下生に、人間の生き様、思想、行動といった大志を打ち込み、勤皇の教育・啓蒙によって倒幕の大きな息吹を創った吉田松陰先生であると。
驚いたことに今でも毎朝、地元の明倫小学校では、吉田松陰の訓えを唱和している。その後、吉田松陰の思想は、京都大学の創立に繋がったのだという。
そして、もう一人は、「白石庄一郎」という赤間神宮の宮司。
この方は、高杉晋作に屋敷や活動費を支援し、これによって奇兵隊がうまれ、この活動が長州の大きな起爆となり原動力となって時代を動かした影の立役者とのこと。
今の時代でいう、エンジェルもしくは投資家にあたる存在と思える。
高杉晋作は、奇兵隊の存在は白石さんがいなければありえなかったとのことをよく語っていたという。
「理念を持った人」と「志ある人を応援したい人」との出逢いが、大きなメッセージを持つエネルギーとなり、大志を持った人が集い、国を変革した。
その後130年の時が流れ、変革世紀を迎えた今、日々の動きの中で歴史が繰り返される予兆を感じる。