今回は

 

はままるさんが社会人になって、

 

お母さんに

 

20万のバックを買って欲しい

 

とねだって

 

実際に買ってもらった、という話です。

 

 

 

 

はままるさんには3歳離れたお兄さんが一人おられます。

 

勉強のできる優秀な、でもある意味破天荒なひとだそうです。

 

国立大学に進学し、

 

社会人になってからは大手企業のエリート会社員をしつつ、

 

FX投資等でご両親に金銭面で援助を受けるという一面もあった、

 

そんな方です。

 

 

 

 

 

はままるさんはそんなお兄さんを見ながら、

 

「親に負担をかけないいい子でいることを無意識に選んでいた」

 

そうです。

 

 

破天荒なこともせず、

 

お父さんの意向に従う形で高卒で社会人となり、

 

会社に入り業績優秀であることを目指し努力し

 

実際にそのようになっていましたが、

 

どうしても拭いきれない思いがありました。

 

 

 

 

それは

 

 

 

お兄ちゃんだけお金かけてもらってずるい、、、自分だけ損してる

 

 

です。

 

 

 

はままるさんの中で

 

お兄ちゃんと比べてお金をかける価値のない子供なのかもしれない、、、

 

という思いがなんとなくずーっとありました。

 

 

 

 

 

それを解消したいと思った。愛されている確認をしに行った感じです。」

 

と。

 

 

 

そこである時、

 

お母さんに突然

 

 

 

「20万のバック買って」

 

 

 

と言ってみた。

 

 

 

そしたら思いのほかあっさりと買ってもらえることがわかります。

 

 

このお母さんとのやりとりで、

 

あれ?実はお金をかける価値のない子供っていうのは自分の誤解なのかもしれない、、、

 

と思えたそうです。

 

 

 

実はバック自体はそんなに欲しいものではなかった

 

だから、買ってもらえるとわかった瞬間

 

なんか「あ、もういいかも」って思ったそうですが、

 

 

せっかくだから本当に買ってもらい、

 

でも結局持て余して

 

ほぼ使用しないままおいてあるとのこと。

 

 

 

「当時自分の気持ちを抑えて我慢して拗らせていたんだと思います。」

「本当に欲しいのは安心感で高級バックじゃなかった。」

 

 

 

けれど20万のバックが欲しいと言ってみて、

 

その時のお母さんの態度で

 

安心感を得られた体験を通して、

 

お兄さんに対する「ずるい」というような思いや

 

「自分だけ損してる」みたいなものがスッとなくなったそうです。

 

 

 

 

 

表面的にどんなに〇〇に見える行為も

(例:しょーもなく見える、ひどいことしているように見える)

 

実は一つ一つ理由があるのかもしれない。

 

 

 

今回の場合は20万のバックをせびったこと。

 

 

だから、例えば当事者でなかったとしても、

 

何か理解し難い他人の行動を見た時、

 

あの人のこの行為はどういう感情を成仏させようとしているのかな?

 

っていうちょっと引いた視点で見たら、

 

もつれた何かがほぐれるかもしれないなあと思いました。

 

 

 

 

 

 

今回のお話、

 

はままるさんにとっては、

 

いい大人が母親に高級バックをせびったという黒歴史

 

だそうですが、

 

私からみると、

 

自分だけではどうしようもない感情を成仏させるための、

 

ある意味チャレンジをした話

 

 

に聞こえました。

 

 

 

あなたはどう感じますか?