昨日は 「憂国忌」 でした。
昭和45年11月25日 作家 三島由紀夫 氏が 主宰する 「楯の会」 のメンバー 4人と 共に 東京・市ヶ谷の 陸上自衛隊 東部方面 総監部で 総監を 人質に とって 本館前に自衛官 約1000人を 集結させ 自衛隊の 決起を 訴える 演説を 10分間 おこない ました。
「よく聞け。 オレは 悲しみと 憤りを もって ここへ 来た。政治は ただ 謀略 のみ。この日本で ただ 一つ 日本人の 心を 残して いるのは 自衛隊だと 思っていた」
「われわれは 戦後の 日本が 経済的 繁栄に うつつを 抜かし 国の 大本を 忘れ 国民精神を 失い 本を 正ずして 末に 走り その場 しのぎと 偽善に 陥り 自ら 魂の 空白 状態へ 落ち込んで ゆくのを 見た」
「政治は 矛盾の 糊塗 自己の 保身 権力欲 偽善に のみ 捧げられ 国家 百年の 大計は 外国に 委ね 敗戦の 汚辱は 払拭 されずに ただ ごまかされ 日本人 自ら 日本の 歴史と 伝統を 涜してゆくのを 歯噛を しながら 見て いなければ ならなかった」
「われわれは 今や 自衛隊にのみ 真の 日本 真の 日本人 真の 武士の 魂が 残されて いるのを 夢 見た」
「共に起って 義のために 共に 死ぬのだ。日本を 日本の 真姿に 戻して そこで 死ぬのだ。生命尊重のみで 魂は 死んでも よいのか。生命以上の 価値 なくして 何の 軍隊だ。今こそ われわれは 生命尊重 以上の 価値の 所在を 諸君の 目に 見せてやる。それは 自由でも 民主主義でも ない。日本だ。われわれの 愛する 歴史と 伝統の国 日本だ。」
「これを 骨抜きに してしまった 憲法に 体を ぶつけて 死ぬ奴は いないのか。 もしいれば 今からでも 共に 起ち 共に 死のう。われわれは 至純の魂を 持つ 諸君が 一個の男子 真の 武士として 蘇ることを 熱望する あまり この 挙に 出たので ある」
(三島由紀夫 烈士 「檄文」 より 抜粋 しています。)
そして 「天皇陛下 万歳」 を 声高らかに 三唱したのち 三島由紀夫 烈士は 恩賜の 煙草を 口にし 森田必勝 (もりた まさかつ) 烈士と 共に 壮絶なる 割腹自決を 遂げられました。
先の 日記でも 触れましたが 自ら 監督 主演した 映画 「憂国」 に ちなみ 毎年 各地で 「憂国忌」 が おこなわれて います。
烈士とは 維新などの 戦いで 功績を 残し 犠牲と なった 人物 または 信念を 貫いて 国の ために 殉じた方の 称号 です。
最後に お二人の 辞世の 句を ご紹介 させて いただきます。
三島由紀夫 烈士 辞世 (享年 45)
「益荒男 (ますらお) が たばさむ 太刀の 鞘鳴りに 幾年耐えて 今日の 初霜」
(太刀を 抜く日を 耐えて 待ち 続けた。そして ついに 今日 決行の日を 迎え 刀は 初霜の ごとき 姿を 鞘から 現すのだ。)
「散るを いとふ 世にも 人にも さきがけて 散るこそ 花と 吹く 小夜嵐」
(散りゆく ことを 厭う 世の中に あって 先陣きって 散ることこそ 花なのだと 夜の 嵐が 教えて くれた。)
森田必勝 烈士 辞世(享年 25)
「今日に かけて かねて 誓ひし 我が胸の 思ひを 知るは 野分 のみかは」
(今日まで 抱き続けていた 私の 胸の内の この 思いを 知るのは 野に吹く 風だけ なのだろうか。)
《現代語の 解釈は 鈴木邦夫 氏の 監修 転載 しています。》
三島由紀夫 烈士は 生前 「自分の 行動は 2、300年後で なければ 理解されない だろう」 と 書いていた。 彼の 御霊を 真から 微笑ませしめる 時代が くることを 心から 希う。
あらためて 三島 森田 両烈士の ご冥福を お祈り 致します。
(画像 お借り しました。)



