生後100日で父を亡くした私よりも、25歳で未亡人になった母の方がもっと寂しかったと思います。

再婚の話もあったようですが、祖母(母の母)がガンとして許さなかったようです。嫁に行くならば子どもを置いて行け。連れて行ったら、次の家で子どもが殺されるとまで断固反対したと聞きました。そういう時代でした。

母は生涯を独り身で過ごしましたが、興味は自ずと私と姉を教育する方向に全集中しました。
私たちは幼い頃から、英会話・茶道・花道・ピアノにバイオリン、行儀作法など、あらゆるお稽古事をさせられるハメに💦
薬問屋だった父方の遺産があったのかも知れません。

母は朝1番には、新聞を正座して1時間も読む人でした。私と姉の学業から結婚、出産、仕事に至るまで、とにかく口うるさく関与し続ける孟母でした。

晩年母を引き取って面倒を見た姉夫婦によると、私が番組に出る日は朝からテレビの前に座り、私の立ち位置まであれこれ呟いたようです。

母の通夜の日、私は生放送が入っておりました。
同じく口うるさい姉(笑)が、「あなたが番組に出る事が何より自慢だった母だから、供養になるので局に行くように」と私を追い立てました。

番組が終わって母が亡くなった事を番組関係者に話したところ、番組の大物たちがこぞって葬儀に参列してくださり、たくさんの花も届きました。

溢れるほどの花に囲まれて旅立ちたいと生前から、私に催促していた母には、満足だった事でしょう😅😅😅

代わりにも義母は穏やかな性格で、私の娘や私を細やかに面倒見てくれました。
「あなたが仕事に行ってくださるおかげで、私は孫守りをしながら家に置いてもらえて幸せよ」と言うような謙虚な人でした。嫁に敬語を使うような暖かい性格で、日本舞踊や水彩画など、多趣味でした。

激しい性格の実母は私に前に向かう努力を教え、聖女のような義母は私を徹底サポートしてくれました。

私が長く料理研究家として仕事を続けられたのは、この2人の母のおかげだと今更ながらに感謝の気持ちでいっぱいです。




※画像はテレビショッピングに出演した折のものです。威張ってますね💦💦





次回に続く😅😅😅