生後100日で父と死に別れた私に、母は「父親に早く死に別れるような子に良い人生などあるはずはない」と言い、「仕事を持って強く生きるように」と私を洗脳しました。
幸いにも料理教室にアシスタントとして採用され、仕事を続けながら結婚も出産もしました。出産後2か月目には職場復帰しました←ここまでがNo.2
アシスタントから講師に格上げしてもらったのは、出産後の28歳の頃です。がむしゃらに働きました。当時は3000人もの生徒がいたからです。
40歳で「亭主を早死にさせる家庭料理」という実用書を出版しました。出入りの出版社に生徒用の基本的な料理本を出版したいと言ったら、まずは実用書を書きなさいと勧められたからです。アメリカのマイヤー博士の論文を参考に執筆しました。
出版直後から講演依頼が続きました。直属の上司からは「出版なんて10年早い❗️」と、強く叱責されましたが、身を低くして仕事も講演も続けました。働き盛りの男性たちの健康を守る事は、日本の経済を守るという時代でした。会社も寛容でした。
講演が続いて、このまま会社にいては周りに迷惑をかけるかもと危惧し、51歳で会社(食のプロダクション)を作って独立しました。数年後に呼び戻され、私の会社に料理教室の運営を任されるという形となりました。
未熟な私を社内外の多くの方々が叱咤激励しながら支えてくださった事は、心底ありがたい事でした。早くに世を去った父が見守ってくれていると肌に感じた事もしばしばです。
あいち万博では子ども館のクッキングステージを任され、半年間に述べ300人を越すスタッフをステージに上げました。天皇・皇后さまがご臨席の開会式にも招かれるという最高の名誉も頂きました。
振り返ってみると、あの時代から今日まで仕事を続けられた事は奇跡のようだと感じます。
次回に続く
