料理研究家が、日曜日の夜にのみ営業する、居酒屋「華ちゃん」。

今夜のお客さまは、大阪に本社を置く広告代理店の重役である奥田さん。

すっかりご無沙汰をしておりますと、丁寧な挨拶をされる奥田さんです。


奥田さんはその昔、華ちゃんの料理イベントなどを取り仕切ってくださった担当者ですが、ずいぶんと出世されたものです。

まずは、マグロとセリの薬味和えからどうぞ。
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ほぉ〜! もうセリが出回る季節なのですか? と、驚いた表情の奥田さんです。

奥田さんはお酒が全く飲めないので、華ちゃんはフレッシュのオレンジアイスティーを作ってお出しします。

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奥田さん「このように、紅茶とオレンジジュースが二層になるように、比重を変えて作ったのですね」。

華ちゃん「奥田さんのように何ごとにも理解力の高い人は、いちいち説明が要らないので助かります。笑笑」。

〜華ちゃんは、出来上がったばかりの料理をあれこれと並べながら、近況などをお尋ねします〜


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華ちゃん「そう言えば、同期の杉本さんはいかがされておられますか?」

突然の問いかけに対して、奥田さんは言葉を探しておられましたが、意を決したように話を始められました。

奥田さん「杉本は脳梗塞で半身不随となりました。再起不能だろうと言われています」。

驚く華ちゃんに、奥田さんのお話が続きます。

〜奥田さんのお話〜

私と杉本は同期生でした。杉本は優秀なヤツでした。代わりにも私は愚鈍でした。

壮年期の杉本はクライアントに巧みに取り入り、次々と仕事を成功させました。

取り引き先の女子社員を高級レストランに連れて行き、ブランド品をプレゼントし、競合他社の情報を盗み取るという悪技も使ったようです。

華ちゃんは、お話の腰を折らないように注意しつつ、お料理を運びます。

華ちゃん「弊店の最近の人気料理は、自家製のチキンハムです」。

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〜奥田さんのお話の続き〜

しかしやがて時代は厳しさを増し、会社は統廃合を繰り返さざるを得ない状況となった時、彼の悪業の数々も露呈することになりました。

そして彼は、早期退職をせざるを得なくなってしまったのです。

華ちゃん「北海道から届いた毛ガニです。今から蒸して捌きますね」。


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奥田さん「私は愚鈍でしたが、皆さまに助けられ、弊社の大手クライアントさんのお力添えで昨年、役員にして頂きました。

ただ誠実に働いただけです。

杉本が退職して半年が経つ頃、私は我が社の若き海外赴任者の壮行会に出席しました。
会場は、会社近くの居酒屋でした。

その日に、事件は起こりました。

〜今夜の華ちゃん居酒屋は、蟹尽くし。蟹の身と蟹ミソの炊き込みご飯〜

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お話の続き

出入り業者さんも参加された中、小さな赤ちゃんを抱いた紫乃さんがにこやかに声をかけてくれました。

聞けば数年前に結婚して札幌に住んでいるが、半年前に赤ちゃんが生まれたので、実家に帰るついでも兼ねて出席したと。

みんながそれぞれに仲間意識を持って盛り上がっていた時、その場に突然に杉本が現れたのです。

どこからか、情報を得てきたのかも知れません。

杉本はニタニタと笑いながら紫乃さんに近寄り、「ホォ〜! 可愛い顔をした子じゃないか。それは俺の子だろう?」と言ったのです。酒臭い匂いがプンプンとします。

そして次には、その子をサッと抱き上げ、「間違いなく俺の子だ。俺にそっくりじゃないか」と、叫んだのです。

真っ青になり、子どもを返してください!!!と身体を震わせて泣く紫乃さん。

マチェドニアをお出しする華ちゃんも、手が震えます。



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〜奥田さん〜

かつて杉本が紫乃さんに巧みに近寄り、無理矢理ホテルに誘い込んだことがあるとの噂を、私は聞いたことがあります。

紫乃さんは、子どもを取り返そうと杉本に駆け寄りましたが、足で蹴飛ばされます。

一同が呆然として静まり返った中、私は杉本に近づいて静かに声をかけました。

杉本!  お前は実に優秀だった!!  お前は俺の憧れだった。それがどうして、こんなことになってしまったのだ?? 

と、その時です。杉本が赤ちゃんを抱いたまま、突然にふらふらと倒れそうになったのです。

倒れる寸前にタッグを組んで赤ちゃんを奪い取ったのは、立木という若い社員と私です。

立木は、学生時代にアメフトの選手だったと聞いています。

杉本はそのままその場に倒れ、大きなイビキをかきはじめました。

病院に運ばれて一命は取り留めましたが、言葉も出ず、再起は不能と言われています。

紫乃さんがかつて杉本に襲われかけた時、それを偶然に見かけて救ったのが、紫乃さんの現在のご主人だということを参加者の多くは知っていたので、会は静かにお開きになりました。

華ちゃん「杉本さんは、どこかで人生の歯車を狂わせてしまったのですねぇ〜」。

奥田さん「愚鈍な私を、かつて彼は何度か助けてくれました。今の私にできることは、受けた恩を返すこと。

彼のプライドを損ねないように、私は匿名で毎月、治療費を届けています。

彼は私の同期生です。良きライバルでもありましたから」。

奥田さんのお話は暖かく、華ちゃんの胸に沁みます。

〜このお話はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません〜