「日本で最初の広告は何だったのでしょう?」
広告の歴史を調べてみると、意外にもそのルーツは、現在のテレビCMや新聞広告からは想像できないほど古い時代までさかのぼります。
ただし、「日本で最初の広告」を一つに決めるのは簡単ではありません。
看板のようなものを広告と考えるのか、商品を売るための宣伝物を広告と考えるのか、あるいは現在のチラシのような印刷物を広告と考えるのかによって、答えが変わるからです。
今回は、日本の広告がどのように始まり、江戸時代にどのような広告が登場したのかを見ていきます。
日本最古の広告は奈良時代?
日本の広告のルーツとしてよく挙げられるのが、701年に制定された大宝律令です。
大宝律令の市場に関する規定には、商品を扱う場所に「標(しるし)」を立てることについての記述があり、これが現在の看板につながる広告のルーツと考えられています。
ただし、この時代の「標」が実際にどのようなものだったのかを示す現物が残っているわけではありません。
そのため、「日本最古の広告は701年の大宝律令に登場する標」と断定するより、広告や看板のルーツの一つと考えられていると表現するのが適切です。
さらに奈良時代には、行方不明になった馬や牛を探すための木簡が残されています。
これは商売の広告ではありませんが、「この馬を探しています」と情報を広く伝えるための告知物であり、広告の原型の一つと考えられています。
つまり、日本の広告の歴史は、商売だけではなく、「誰かに何かを知らせる」という行為そのものから始まったとも考えられます。
現在のチラシに近い広告が登場したのは江戸時代
では、現在のチラシ広告に近いものはいつ登場したのでしょうか。
ここで登場するのが「引札(ひきふだ)」です。
引札とは、商店や商品の宣伝のために配られた一枚刷りの印刷物です。
東京都立図書館や印刷博物館では、現在のチラシ広告の元祖ともいえる存在として紹介されています。
そして、この引札の歴史を語るうえで欠かせないのが、江戸時代の商人・越後屋です。
日本初のチラシ広告といわれる「越後屋の引札」
1683年、江戸・日本橋駿河町に店を移転した三井越後屋は、新しい商売の方法を広く知らせるため、一枚の印刷物を江戸市中に配りました。
これが、現在のチラシ広告の始まりとされています。
越後屋は、現在の三越につながる呉服店です。
そこで掲げられたのが、
「現金安売り掛け値なし」
という非常に分かりやすいメッセージでした。
当時の呉服店では、掛け売りや価格交渉が一般的でした。
そこに越後屋は、
「現金で販売する」
「最初から安い価格を提示する」
「掛け値をしない」
という新しい販売方法を打ち出したのです。
つまり、この引札は単に「越後屋で服を売っています」と知らせるだけではありません。
「これまでの商売とは違います」
という、新しいサービスの特徴そのものを広告していたわけです。
江戸時代の広告は、すでに「キャッチコピー」を使っていた
面白いのは、この広告が現代の広告とかなり似ていることです。
「現金安売り掛け値なし」
これだけで、越後屋がどんな店なのかが伝わります。
現代の広告でいうなら、
「安い」
「分かりやすい価格」
「他店とは違う販売方法」
という特徴を、一つの短い言葉にまとめたキャッチコピーのようなものです。
広告の基本である、
「何が違うのかを、短い言葉で伝える」
という考え方は、300年以上前から存在していたことになります。
江戸時代に「広告効果」を測っていた?
さらに驚かされるのが、越後屋の広告には広告効果を考えた形跡があることです。
公益財団法人吉田秀雄記念事業財団の資料では、1683年の越後屋の引札について、配布後に売上が大きく伸びたことが紹介されています。
また、アドミュージアム東京の資料でも、引札配布後の売上が一挙に6割増えたという記録が紹介されています。
「広告を出したら売上がどう変わったのか?」
という現在では当たり前の考え方を、江戸時代の商人も意識していたと考えると非常に興味深い話です。
広告は「作って配れば終わり」ではなく、
広告を出す → 人が来る → 売上が変わる → 効果を確認する
という考え方まで、すでに江戸時代に見られたわけです。
江戸時代の広告はどんどん進化していった
引札は越後屋だけのものではありません。
江戸時代が進むと、さまざまな商店が商品やサービスを宣伝するために引札を使うようになります。
呉服店だけでなく、
-
飲食店
-
化粧品
-
薬
-
食品
-
日用品
-
装飾品
など、さまざまな商品に広告が使われました。
そして江戸後期になると、単に商品情報を書くのではなく、絵や洒落、語呂合わせなどを取り入れた、非常に趣向を凝らした引札も登場します。
広告を見ること自体を楽しませる。
これは、現代の広告にも通じる考え方です。
「広告」という言葉が登場するのは、もっと後
ここで意外な事実があります。
江戸時代には、現在の意味で「広告」という言葉は一般的ではありませんでした。
当時は「引札」「報條」「告」「報せ」「口上」など、さまざまな呼び方が使われていました。
「広告」という言葉が登場するのは明治時代になってからです。
「広告」という言葉の初出については諸説ありますが、1872年(明治5年)4月の『横浜毎日新聞』が有力な説の一つです。アドミュージアム東京の資料でも、明治5年の新聞に「廣告」という言葉が使われていたことが確認できます。
つまり、
広告という言葉がなかった時代にも、広告そのものは存在していた
ということです。
日本の広告は「知らせる」ことから始まった
日本で最初の広告は何だったのか。
これに対する答えは、実は一つではありません。
701年の大宝律令に記された市場の「標」を広告のルーツとする考え方もあれば、奈良時代の告知用木簡を初期の広告と考える見方もあります。
そして、現在のチラシ広告に近いものとして考えるなら、1683年の越後屋の引札が非常に重要な存在になります。
ただ、どの時代にも共通していることがあります。
それは、
「自分の商品や情報を、誰かに知ってもらいたい」
という人間の欲求です。
看板から引札へ。
引札から新聞広告へ。
新聞広告からテレビCMへ。
そして現在では、Web広告やSNS広告へ。
広告の形は大きく変わりましたが、**「伝えたいものを、誰かに届ける」**という広告の基本は、1000年以上経った現在でも変わっていません。
江戸時代の越後屋が使った「現金安売り掛け値なし」という短い言葉を見ていると、広告の本質は意外と昔から変わっていないのかもしれません。
成果報酬型広告「インターペーパー」
広告出稿のご用命は株式会社インターカラーにお任せください!

