平成に入っても新たな人気が爆発したため、多少躊躇する気持ちもあったが、やはり力道山亡き後昭和のプロレス界を支えた一番の男というとやはりA・猪木と並んでこのG・馬場だろう
全盛期の彼はパワー、スタミナ、インサイドワーク、ラフ、テクニック、瞬時の判断力など全てを兼ね備えており、まさに世界的にも超一流のレスラーだった
技も非常に豊富であり、ジャンピングネックブリーカーや32文人間魚雷などタトルマッチなどの大試合でしか見せる事のない技からG・馬場の代名詞にもなっている16文キック、また脳天空竹割りや河津落し、ココナッツクラッシュ、コブラツイスト、バックドロップまで使いこなし、さらには前記のネックブリーカーやジャイアントバックブリーカーのようにオリジナル技も自ら開発しする想像力も兼ね備えており、まさに今後日本マット界からこのような大レスラーが出現するのは難しいかもしれない
また獲得したタイトル歴も凄まじい!

70年代当時世界最高峰と言われ、唯一世界で真の世界タイトルとして認められていたNWA(本部=セントルイス)認定世界ヘビー級王座をはじめ、日本プロレス時代にはNWAインターナショナル、インタータッグ、アジアタッグなどを保持
全日本プロレスを自ら設立後は初代PWF(本部=ハワイ)ヘビー級、インタータッグ、王者として活躍、また金一を倒しアジアヘビー級タイトルも獲得している
さらに彼は超一流レスラーであったと同時にプロモーターとしても一時はNWAの会長にまで推薦される程の(自らの団体が日本にあるため推薦を断り、副会長に就任)存在だった
WWF(現WWE)が全米に進行した時にあのV・マクマホンを日本に呼びつけ苦言を呈した事は有名な話だし、オープン選手権や世界最強タッグリーグ戦を開催した時などは全米からレスラーが居なくなると言われる程の豪華メンバーを集めたりした事もあった
そして意外な話だが、少年時代からプロ野球選手を夢見ていた彼は、プロレスを本当に愛し、楽しむようになったのは、あのウエスタンラリアートのスタン・ハンセン(元AWA世界王者)と空前の名勝負を行った後ぐらいからだという、しかし最後に彼がプロレスを心から愛した事はプロレスファンに対する最大のプレゼントだったかもしれない
いずれにしろレスラーとしても、プロモーターとしても、そして人間としてもとてつもなく大きな、まさにその名の通り”世界の”ジャイアント・馬場だった