今のファンはあまり知らないかもしれないけど・・・
昭和40~50年当時G・馬場(インターナショナル王者)A・猪木(UNヘビー級王者)大木金太郎(アジアヘビー級王者)らスターを抱えて今では考えられないような大人気を博していた日本プロレスに対し、追いつけ追い越せと吉原功氏(日プロを退社)掛け声の元、国際プロレスという団体が奮闘していたんだ


設立当初は馬場・猪木のような国民的大スターを抱えていなかったため(実はヒロ・マツダというスターが初期にはいたが、吉原氏とあっさり袂を分かってしまった)新人のG・草津をエースにしようとしたり、外国人のB・ロビンソンをエースにしたりと散々苦労していたが、そんな中から頭一つ抜け出してきたのがS・小林という怪力レスラーだった

G・草津、S・杉山、そして小林国プロ離脱後(いろいろあって王者のままベルトだけは返上し、やはり日プロを飛び出し新日本プロレスを旗揚げしたA・猪木に挑戦し敗れはしたが、今だ語り継がれる名勝負を展開、日本中に大プロレスブームを巻き起こし、東京スポーツ社の年間最高試合賞を獲得、その後新日本へ入団)M・井上、ラッシャー・木村(国プロ最後のエース)らがエースとしてそれなりの人気を博したが、国プロの看板タイトルであるIWAタイトルの防衛回数(馬場のインター連続防衛記録を抜く25回連続防衛は当時日本マット界の新記録)挑戦者の顔触れ(B・ロビンソンやC・リソワスキー、B・V・ラシクなど) 人気、実力などを総合すると、国プロの歴史において真のエースと呼べるのはやはりこのS・小林ではなかろうか      


ファイト内容は単調だがそれはそれは豪快で、その怪力振りは凄まじく”和製人間発電所”と歌われ、猪木との世紀の一戦の後は”天下の檜舞台”ニューヨークのMSGにおいて”本家人間発電所”B・サンマルチノとメインエベントで引き分けるなど数々の話題を提供し多くのファンを魅了した


新日本に移籍後も坂口征二(俳優坂口兼二の父)とともに北米タッグ王者としてそれなりに活躍していたが、やはり国プロ時代に大黒柱としてB・ロビンソン、V・ガニア、C・リソワスキー、D・T・ブルーザー、R・木村B・V・ラシク、D・L・ジョナサン、M・ロシモフ、B・ワットらと激闘を繰り広げている頃が彼にとっても一番充実していた時代では、と思う