おれ、幽霊は全く信じてないです!!!
幽霊見えるとか言ってるやつ、まじ冷めます!!!
小学生くらいの頃、
寝る前に
「いつか自分が死ぬ」
という事実が突然襲ってきて、
怖くて目がさめることがよくあった。
それは高校生の時もそうで、一時期寝るのが怖かった。
寝ようとすると、そういう「事実が襲ってくるから」
「おれの人生の先に待っているのは永遠の無」
「今だけが有限、死んだら無限の世界」
まぁ、最近はそういう感覚が襲ってくることがなくなったんだけどね。
大学生の頃が一番酷かった。
寝る時に感じたし、寝てる時も、
突然発狂して夜中起きたりした。
だから当時の付き合ってた今の奥さんにびっくりされることがしばしば。
でも唯一の救いは、この感覚は、起きてる時には絶対襲ってこなかった。
んだけど、大学生の時は、
起きてる時、普通に活動してる時もこの感覚に襲われることが多くなった。
でも、その時たくさん学んだ。
たくさんのものが見えるようになった。
「世の中の作品は、”死ぬのが怖いよ〜〜〜!!!”って叫んでるのが殆どだ」
ということに気づけたから。
それが当時見えたもの。
代表例はMr. Children。
だって、アルバム「深海」あたりモロだもんね。
インタビューで桜井さんが普通に公言してるし。
「深海の頃は自殺を考えていた・・・」
って。
まぁ誰でも気づくよな〜。シーラカンスとか聴いたら。
でもミスチルの楽曲は活動休止後明るくなって、死生観が変わって、死ぬ恐怖を違う角度で捉えれるようになったんだな〜桜井さん。って思うようになった。
「いつでも微笑みを」の歌詞なんてまさにそう。
あ〜乗り越えたんだな〜って思った。
でもミスチルみたいにモロじゃなくても、
手塚治虫、まじかる☆タルるートくんの江川達也さん、宇多田ヒカル、北野武などなど、当時自分がはまってたものからビンビン感じる、みんなからの「死ぬのが怖いんだ〜〜〜!!!」って言葉。
それを、みるたび、きくたびに楽になれたから、当時Book offに行くとCDと本がたくさん100円で売ってて、死ぬのが怖いよ〜ってシャウトしてる作品を選んでは買いまくった。
そういう感覚がない人にはダイレクトに伝わらない、でもある人には伝わる。
という残り香をエッセンスの様に入れながら、作り手の人たちはメッセージを込めていた。
ように、当時の自分には見えた。
例えば、宇多田ヒカルの「光」という曲。
紀里谷さんへの愛の曲との見方が一般的だったけど、
死ぬのが怖すぎ〜〜〜っと思ってた自分に取って、結構心の救いになった。
というかどうすればその恐怖から抜け出せるか教えてくれた曲。
この曲ででてくる、どんな時だって
たった一人で
運命忘れて
生きてきたのに
突然の光の中、目が覚める
真夜中に
「運命」は=「いつか死ぬ事実」
「真夜中」とか「暗闇」は=「死ぬのが怖いと思っている状態」
「光」は=「死の恐怖の状態から解放してくれるもの」(多分、この曲の中では特に意中の人のこと)
と仮定する。
そう仮定して歌詞を読んでください。
そしたら、今までのどの解説よりしっくりくると思う。
というか、自分は死ぬのが怖いと思いすぎていたから、そうとしか取れなかった。
静かに出口に立って
暗闇に光を撃て
今時約束なんて不安にさせるだけかな
願いを口にしたいだけさ
家族にも紹介するよ
きっとうまくいくよ
まぁここでいう「約束」・・・は色んな捉え方ができると思うんだけど、特に紀里谷さんを連想すると思うんだけど、ちょっと待ってね。
怖い時に、真夜中、暗闇で死の恐怖に怯えてる時に、「光」が見つけてくれる。どんな時だって
ずっと二人で
どんな時だって
側にいるから
君という光が私を見つける
真夜中に
「光」が死の恐怖を忘れさせてくれる・・・
うるさい通りに入って
運命の仮面をとれ
まさにこれはいつも自分が思ってたこと。
「うるさい通りに入って」「運命」=「いつか死ぬ事実」の仮面をとろうぜ〜
ってこと。
うるさい賑やかなところに行って、いつか死ぬことなんて忘れよう。
という歌詞。
先読みのし過ぎなんて意味の無いことは止めて
今日はおいしい物を食べようよ
未来はずっと先だよ
僕にも分からない
「先読みのしすぎ」=「いつか死ぬことを考えすぎること」
それはやめて、今日はおいしい物を食べよう。は、
いつか死ぬこと事実は変わらない。それに囚われてせっかくの人生を楽しめないなんてダメだよ。「今に集中して、」今日はおいしいものでも食べようよ。
未来はずっと先=死ぬという事実はずっと先だよ
僕にも分からない。=は色んな解釈の仕方ができるけど、
「まぁもしかしたら死なないかもしれないし〜死後の世界があるかもしれないし、死んだことのことは誰にも分からないよね〜」
というような感じで捉えてる。
完成させないで
もっと良くして
ワンシーンずつ撮って
いけばいいから
君という光が私のシナリオ
映し出す
これからずーっと先に起こるだろう、”死”に囚われて今を無駄にするのではなくて、「今」をワンシーンずつ撮っていけばいいんだ。
これは紀里谷さんの仕事と自分の関係性と、そんなあなたが私の”死への恐怖”を解放して今を生きる力を与えてくれるというメッセージ。
もっと話そうよ
目前の明日の事も
テレビ消して
私の事だけを見ていてよ
未来=死 のことじゃなくて、目の前の=今のことを話そう。
でも怖いから、私のことを見てて
どんなに良い瞬間だって、あの頃の自分は「でもいつか死んじゃうんだよな〜」という無力感に襲われてた。そんな時に、今の奥さんに会って、救われた。どんなに良くったって
信じきれないね
そんな時だって
側にいるから
君という光が私を見つける
真夜中に
だからか知らないけど、この「光」って歌はそういうことを歌ってる気がしてる。
まぁ、勝手にそう思ってるだけです!!!!!
ただ、これさ、未来とか、運命とか先のことを、
「結婚できるかどうかの不安」
って読み替えても、意味は結構通じるのよ。
当時の状況考えると、そう考えるのが殆どかとおもうんだけど、
この歌詞のポイントは、一回だけでてくる「僕」という言葉。
これは暗に紀里谷さんのセリフっぽくしてると思っていて、
仮に紀里谷さんのセリフだとしたら、
先読みのし過ぎなんて意味の無いことは止めて
今日はおいしい物を食べようよ
未来はずっと先だよ
僕にも分からない
ここのセリフに違和感がめっちゃ残りません?
ヒッキー「結婚しよう!」
紀里谷っち「いや〜未来はずっと先だから、僕にも分からないよ〜。まぁ先読みのしすぎなんてやめて、おいしいもの食べよーぜ〜」
いやいや、ちょー不誠実な男じゃん!!!
だから、そう読ませないために敢えてここで「僕」という言葉を使ってると理解してる。
でも”先読み”が「いつか死ぬのが怖くて怯えてる宇多田ヒカル」だったら、この4行はめちゃくちゃ意味が通る。
紀里谷っち「いつか死ぬのが怖いのはわかったけど、そんな先のこと考えすぎてもよくないよ、未来はずっと先じゃないか、僕にも分からない。それよりさ、今日はおいしいものを食べようよ」
ヒッキー「きゃー結婚しよう!」
つっこみおまちしております⭐️