”あけましておめでとう”ってった最後のブログからほぼ一週間。

日本のだらだら生活も終わり、とうとうカラマズーに戻ってきちゃいました(泣)
もう一度、自分を試す機会をもらえる。そう思うと、カラマズーに帰ってくる事自体はすごく楽しみだった訳ですが、やっぱり日本が俺にはベストなんでしょうか? ちょっと寂しい。というか日本にいたい。

留学生として始めたこのブログ。
もう無いだろうと思ってた鬱病にかかり、ちょっと方向性が違ってきてた昨年末。
それでもいいだろうと思って必死に”だらだら”してきましたが、このブログの存在意義を始めから見直す必要性も考えてみたり。

読者が6人もついてくれてるこのブログ。
有名大学への足跡的に残すつもりだったこのブログ。
でも、今は留学生としての俺がどのように生き、そしてこのモラトリアムの期間を過ごすのか。
そういうブログに変化しつつあると思う。俺はそれでも良いと思ってる。そんでもって、留学したい人、留学してる人の中で、心に不安がある人、鬱病が身近に存在する人の助けになれば、と思っています。

そして、全てを含めた俺を見てほしい。んでもって、できることなら好意をもってもらいたい。

……そう思っています。

だから…、今までは友達には教えなかったこのブログ、今からは教えていこうと思う。
ありのままの自分を見てもらう為に。そして自分に嘘をつかなくて良いようになる為に。

今日は日本で一番感慨深く、考えさせられた事について。

今回、鬱病の状況で日本に帰った事もあって、母親は相当心配してくれてたみたい…。そりゃそうか。とも思うんだけど、何気なく二人で話していた時に、ふとお母さんが漏らした、多分お母さんの本音。

俺を日本に無理矢理にでもいさせて、就職させるか、もしくは、このままアメリカに戻らせて卒業させるのか。
どちらの選択肢が母親として正しいのか、そして俺の為にどちらの選択が正しくて、将来的に満足できる事なのか。

母親もこのブログを見ているだろうから、こんな事書くと心配させるかもしれないけれど、今回、正直アメリカに戻ってきたくなかった。日本の実家でも存在意義を見つける事ができたし、なによりも、そうとう居心地がよかった。本当に気の合う友達がいて、信頼できる仲間がいて、俺を見守ってくれる友達(親の年代ですが)がいて。”幸せ”という抽象的な単語を使うならば、日本にあのままいた方が幸せな人間になったのかもしれない。大して大きな成功も無いかもしれない。お金持ちにもならないかもしれない。人に自慢できることなんてないかもしれない。それでも、大切な人と、大切な時間を一緒に過ごし、そしてその時間を共有できる。

今回、改めて母親の大きさを実感できた休みだった。

不安になりながら、こんな息子を持ちながら、俺と同じ方向を向いてくれている。卒業をとりあえずとした俺の将来へ一生懸命に助け舟を出してくれてる。自分は死にそうに忙しい毎日に忙殺されながら、それでも俺の幸せを願ってくれている。

セントレア空港まで一緒に運転してくれて、最後に握手をした。とりあえずのさよなら。俺は気丈に出発ゲートに向かったんだけど、心の中は号泣してた。初めて留学した時にも、これまで何回もあった日本出発の時にもなかったこの寂しさ。飛行機の中で一安心した俺は、少しだけ涙をこぼしてた。

この涙は”ありがとう”の涙だと思う。
寂しくないと言っちゃ嘘になるだろうけど、会えない事への涙では絶対にない。親の理解へ対する感謝の涙であり、そして自分を奮い立たせる涙だったんだろうと思う。

俺は日本にいるべきだったのか、それともこうしてアメリカに戻ってきたのが正しいのか…。

正直俺にもわからない。日本にいたってそれなりの事はできただろうし、とりあえず鬱病というトピックにしぼってしまえば、その可能性は極力減ったと思う。鬱病を性格と看做していきていくこの留学と比べて、それを考える必要もないくらい日本の生活というのは”気楽”だったし、なによりも一人じゃないことを毎日実感できていたから。

わからない。正しいかどうかなんて。

でも俺は、やるべき事を、やって、後悔だけはしたくない。
そうおもって戻ってきた。

今年の豊富は…”Fuck it” 日本語だとどう訳すかうまく言えないけど…”どうにかなる”ってなると思う。
生きている事が大切。そして過剰な向上心も、自分を愛せない事も、成績を含め全てにおいて完璧主義な事も…自分だとおもって生きていきたいと思っています。

生きる…

モラトリアムという誰かに養われ、生きる事に必死にならなくてもいい期間。
僕は生きていく事のすばらしさと、僕の周りにいる人々の愛を、自分の影に照らし合わせて見つめ直せた気がします。