「憲法9条改正や安保関連法案」知っておいてほしい3つのこと! | 国際法と国際政治から読み解く現在

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「安保関連法案反対」「憲法9条を守ろう」という声が高まっていますよね。

そもそも、70年間の日本の平和は、憲法9条があったからなのか。それとも、アメリカに守られていたのか。どっちもなのか。

知っておいてほしい3つのことを紹介します。

1.憲法9条とは、そもそも何か。ただの、非暴力中立の意味を含めた条項なのか。アメリカによる、押し付け憲法なのか??


日本国憲法はマッカーサーの憲法草案、まるまるであるということを学びました。確かに、どう歴史をいじくっても、憲法9条は、マッカーサーを中心とした国際社会に要求されて存在していることは疑いようがありません。

しかし、その後、ドイツのように、日本にも憲法改正をする機会がなかったわけではありません。
実際問題、自民党と憲法学者による、憲法改正案が提案されました。
それに、反対し、平和条項9条を守ったのは、国民投票を通じた、主権者である日本国民です。

国民は、純粋に憲法9条の平和主義を評価していたわけです。


また、日本は、敗戦国であり、過去には、ドイツ、イタリアと三国同盟を結び、植民地支配をしていました。

よって、憲法9条は、植民地支配の犠牲者となっていた、東アジア、東南アジアの人たちに対する反省の証です。
これを、改正することが、それらの国からどのような悪印象をうけるかははかりしれないのではないかと思います。


2.立憲主義の観点から

立憲主義の観点から、考えると今の状態はとても危ういと思います。


東京大学の井上氏が言及していたことが、とても印象に残ります。
政府もメディアも、そこで目にする護憲派の一部も、
立憲主義が危うくなる本当の意味を追求していません。

護憲派の憲法学者には、二種類います。

原理主義護憲派 この人たちは、文言通りに、自衛隊は存在を否定し、憲法9条に基づいて、自衛隊の活動は違憲であると主張する人たちです、この人たちは、公には違憲と否定しながら、事実、自衛隊の存在を黙認しています。

修正主義的護憲派 よく、メディアに登場するのは、この人たち。彼らは、文言上、自衛隊は違憲であるとしていますが、専守防衛なら拡大解釈でOK、つまり、明示的に、個人的自衛権の行使なら許容範囲であるが、集団的自衛権はそれを超えているという立場をとっています。


問題は、憲法9条は絶対であると維持しながら、事実上、政府の拡大解釈を止めることができていない状態にあります。

井上氏は、これはただの欺瞞であるとおしゃっています。

確かに、このままだと、政府によって、安保関連法案の議論が憲法の枠外でどんどん展開されるようになります。
しかし、憲法学者は、憲法の解釈や改憲反対などの理論に気をとられ、自民党の計画を少しずつ
許していってるように思えてきます。

民主主義の最大の武器である憲法が骨抜きになってしまっては、困ります。



3. 安全保障の観点から。

安全保障を憲法で、解決するのは妥当でないのではないかと考えています。

では、アメリカが守ってくれなくなるから、自国の軍事力を拡大するのか?

もともと、アメリカは日本を守っているというよりかは、日本をアメリカの戦略網に組み込んできたと。言う方が正しいのではないかと思います。アメリカが日本を守るのは日本のためではなく、アメリカの世界戦略拠点を守るためです


アメリカに、見放されたくないから、自衛隊を集団自衛権まで広げて、日米安保を維持していくのか?

よく、アメリカの軍隊は、血を流して戦っているのに、日本の軍隊はそれをしていない、だから、日本の自衛隊も集団自衛権を行使するべきだ。
とあります。

「日米安保は片務的で、日本が攻撃されたらアメリカが守ってくれるのに、アメリカが攻撃されても日本が守らないでいいというのは不公平だ」という議論があります。 

しかし、日本はアメリカに対し、多くの在日米軍基地だけでなく、 武器・弾薬・燃料などの枢要な兵站(へいたん)拠点を提供しています。日本の地理的位置だけでなく高度の経済力・技術力からして、アメリカにとって日本は単に必要なだけでなく代替不能な戦略的拠点になっているのです。
沖縄の市民はその、犠牲者でしょう。

国際関係の観点からみて、二国間、地域的な軍事同盟などというのは、自国の権益、勢力圏を守るために、あって、市民の命や生活の安全に結びつくにはほど遠いと言えます。
安保や有志連合は各国家リーダー同士による基地や自衛隊派遣に関する軍事同盟であり、結局世界に対立する相手(中国やロシアなど)を作り抑止力を高めようとしている現実主義的な都合のよいものにすぎません。

集団的自衛権行使を容認することで、今以上の軍事的利益供与やリスク負担をアメリカのためにする必要があるのかを政府に訴える必要があります。


結論を言いますと、

日本に必要なのは、軍事力ではなく、政府が暴走しないように、制御する装置です。
それは、公正な選挙であったり、国会の仕組みであったり、
憲法で国家機構論を勉強しますが、その国家の肝臓となる部分が、シビリアンコントロールできるような
仕組みになっていないのが問題です。

憲法9条でしか、安全保障を市民が語れない状況になっているのがその証拠です。

自衛隊が存在していることは、疑いようのない事実です。その存在を違憲と否定しながら、
何かあった時には、自衛隊に守ってもらうというのは、都合が良すぎます。

また、時には、自分が正論と思っていることを貫くとこで、マイノリティの人々を気づくけることもあります。
安倍首相はその代表かもしれませんが、、

安全保障を考えるということは、憲法を守ることとイコールではありません。憲法は、
安全保障を考える上でも、政府が暴走しないように、フェアに取り決める、民主主義の
重要な武器ではありますが、移りゆく安全保障の議論に対して、憲法9条に依存しているだけでは
議論の停滞につながり、いつの間にか、国民の本当の真意を問えなくなります。



私も、あらゆる現実に目を向けて、善良な市民として、対案を考えていきたいものです。