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Internal auditor's tweets

「説明」と言われても何を説明すればいいのかわからない。
全角128文字で説明するのには制限があり過ぎるので気が向いたら、上手い説明文でも書きましょう。

社外の人と打ち合わせをする時、私の場合、話すのはもっぱら上位者で、若い人は名刺交換以外には何もしないか、もしくはパソコンでカタカタ議事録を打って書記をしているというケースにたびたびお目にかかる。



せっかく来てもらっているのに、それだけだとつまらないので、私はその若い人に話の内容についての意見を求める。

そうすると、たまに「おっ」と思うようなことを言ってくれる人もいる。

貢献できる能力があるのに貢献しないのだ。なんともったいないことだろう。

なぜ、そんなことになってしまうのか。以下の3つの要因が考えられる。

(1)発言をする習慣がない
企業の中には、そもそも下位者は発言をしないという習慣を持つ組織がある。

確かに、否定すべきことも、とりたてて肯定を表明すべきこともない既定路線の会議が多いのかもしれない。

習慣はある種の規範となり、誰も発言をしなくなっていく。会議の席順も話す順序も、みんな決まっているので、平社員には永遠に発言の機会が回ってこない。

(2)言うことはできるが、言っても“良いと”が1つもないまた、上位者が口では、何でも思ったことを言えというものの、言ったら言ったで、上位者に対する反逆とみなされるか「それならお前がやれ」と言われて、かえってやぶ蛇になってしまい、言っても何も良いことがないから言わないという組織もある。

これでは話す気がしない。

(3)言うことは、良くないこととされている
そして、上位者の許可なく下の者が何かを言うことなどもってのほか、という会社もある。

下位者が勝手に話すことを許してはならない、自分が許したときだけ話しても良い、というのはマキアヴェリの『君主論』にも明記されているくらいである。

マキアヴェリストの上司が多い会社では、こちらが正式な規範となろう。

一方、私自身は、そのような不文律とは無縁の会社に入社した。

むしろ「何かを言わなければ、存在してはいけない」会社であった

入社後1ヵ月もしないうちに、上司の代理で、ある事業部の部長会議(その事業部の実質的な意思決定会議)に陪席することになった。

会議は紛糾したのち、なんとかまるく収まった。

私は長かったなぁと思い、帰り支度を始めようとした。

すると、参加者の1人がいきなり「おい、そこの新人、今日の会議を見て、何か思ったことはないか」と聞いてきたのである。

意表を突かれた私はハッとしたが、こういうときはとりあえず感謝しておけば良いと思って「大変活発な議論を目の当たりにして、すごいなと身が引き締まりました。ありがとうございました」とお茶を濁した。

すると、参加者全員がキッとこちらを見た。

そして「そんなきれい事を言ってもらいたくて聞いたのではない。本当に思ったことを言え」と言うのである――少し面食らったが、そこまで言うのなら「もうどうでもいいや」と思って、議論の前提となっている仮説の説得力の弱さ、個人のモチベーション維持だけに重点が置かれている無謀な営業対策、想定している顧客の偏りなど、本当に思ったことを延々述べてしまった。

気が付いたときには、もう手遅れ。

言いたい放題の大演説をしてしまったのである。

「やっちまった…」と思った。

しかし、意外なことに「おまえ、オモロいな」と出席者たちは好意的で、その後、その事業部のいろいろな会議に呼ばれるようになった。

これは、昔の会社が良かったとか、ましてや自分の自慢話として引いた例ではない。

この会議の出席者(部長たち)は、日頃からとてつもなく高い目標に向かって、成果を出し続けることを義務付けられていた。

自分たちの中では、これ以上ないほどに策を考え尽くしていた。

だから、自分たちとは立場の違う人間の視点、これまでとは違った角度からの批判などを心の底から希求していたのだ。

若かろうと年寄りであろうと、内部であろうと外部であろうと、バカであろうと現場を知らない人間であろうと、何か少しでも参考になることを言ってくれそうな人であれば、誰でも良いと思う人たちだったのである。

「使えるものは親でも使え」というのが発想の原点にあり、たまたまそのとき、彼らの求めていたものと、入社直後の何も知らない若い兄ちゃんの無鉄砲な意見が少しだけマッチしたにすぎない。

真に成果を欲する人からすれば、たとえ新入社員の話でも聞かないわけにはいかなかっただけなのだ。

さて、現在の会議の状況を見てみよう。

悲しいことに、まずは寝ている人がいる(体の具合が悪くて寝てしまう状況もあるが、これは例外)。

なぜ寝るか。

自分の役割がその会議の設定の中になく、発言も求められないからである。

なんの緊張感もないまま座っていられるから、グーグー寝られるのだ。貢献しようとする意欲も知識もない。

なまじ参加人数が多いことが最大の原因だろう。そもそも、こういう人は会議に必要とされていないので、出席しなくて良いのだ。

また、“魅せる”演技が上手な俳優もいる。

組織的な成果を生み出すためではなく、いかに自分は気が利いていて優秀なのかをアピールすることや、上司をいかにうまくヨイショするかということだけを真剣に考えて発言する人である。

見るからにイマイチな人なのだが、それにもかかわらず見事に出世していく。

さらにもっとひどいのは、会議といいながら議論をさせないように計算されている会議室が多いことだ。

政府関係の会議などを見ると、巨大な部屋に大きなロの字形の席を構築し、30メートル先の人に向かってマイクで話をするような設計になっている

それぞれの状況を確認する報告会のようなものであればこれでも良いが、議論をするための会議であれば、およそありえない形状だ。

主催者も事務局も、あまり意見が活発に出ないことを心底願っているのだろう。

たとえば、検索サイトで「会議室」、特に「役員会議室」などと打ち込み、画像検索してみてほしい。

そうすると、やたらと豪華で重厚な会議室がたくさん表示される。

自ら公表を許しているのだから、会社はその会議室を自慢したいのだろう。

会社としては、この重厚感に相応の責任の重みを感じて立派に職責を全うしてほしい、または、こういう場でしっかり発言することを夢見て立派なビジネスパーソンになってもらいたいという意図があるのかもしれない。

しかし実際には、気軽にしゃべらせないための工夫が体現されている空間というほうが適切だろう。

会議をつつがなく終わらせることは、成果でもなんでもない。

本来会議とは、実質的な成果を生み出すために参加者の衆知を結集するのが目的のはずだ。

そうであるならば、年齢やポジションに関係なく、その場に貢献できる可能性のある人を招き、その場で丁々発止のやり取りがなされ、個々人の知恵が相乗効果を生むような環境を作ることが必要だ。

もちろん、一言も発言しない人がいてはならないし、寝る役員に居場所などあってはならない。




おしまい。ネタが有ったらまた来週。