妻と母私もいい年ですから母はとっくに後期高齢者。ずっとピアノ教師なので商売のことはまるで疎く、分からないながらも彼女なりに当店のことを心配はしていたようです。音楽関係の人たちと知り合いになる度、随分羨ましがっていましたが、祖母の介護のため北海道から離れることはほとんどありませんでした。母も当店の閉店は残念がっていました。ここで親をがっかりさせて申し訳ないけど、また新たなステージでそうすればいいかと思っています。晩年は倒れてしまい奥さんと子どもにも迷惑をかけました。家族がいなければ僕は死んでましたから。夜中にガサゴソうるさくして申し訳なく思いつつ、感謝しております。
内藤ちゃん思えばスタッフの内藤ちゃんとも10年のお付き合いです。内藤ちゃんにはうちの子のピアノも教えてもらいました。内藤ちゃんには熱烈なファンが数名います。僕もその一人ですけど(笑)。いつも一生懸命だから皆んなが応援します。今後もそれは変わらないでしょう。当店でバーテンダーとしてメイキング(カクテルを作ること)したのはカクテルマニアの松ちゃんと内藤ちゃんだけです。それだけ信頼できるお人柄でした。それはお客さまみんながそう思っています。
似てるなぁ黒部さんからのご紹介で長西くん。長西くんからのご紹介で土生くん。最後の方で働いてくれた3人は繋がっていた。それにしてもこの3人、似てますねぇ。兄弟みたい(笑)。3人とも真面目で誠実。戦力になってくれました。ありがとう。
仙川商店街商店街の真ん中にある店としては商店街の会員になるべき。でもバーが商店街の会員ってどうなの? と、最初は実に無毛な問答をしていた。百貨店に勤めていたので正直な話、商店街に田舎臭さも感じていた。最初は…。10年経った今、僕は商店街優しいコミュニティを感じている。小さな商売でもそこには地元の人の幸せがある。この10年で商店街の中身はどんどんチェーン店になって行ったけれど、店と地元の人の緩い繋がりのある商店街がとても好きになった。※事務局の方にはお世話になりました。ありがとうございました。
近所のディアドールの阿部くんディアドールの阿部くんも結構昔からの当店のお客さまだった。「居酒屋で働いてます」なんて言う割にやたらウィスキーの知識があったので、バーテンダーだなとは思っていたけど、まさかそれがこんな近所で働くことになるとまでは思わなかった(笑)。11月13日にバーの集まりで皆んなに閉店の話をした時、本当に寂しがっていた様子をみて、自分でももう少し頑張れなかったものかと恥ずかしく思った。似ている店だが意外とお客さんは被っていない。ディアドールとインテルメッツォにはそれぞれの個性があった。二人でもう少し仙川のバーを盛り上げて行きたかったなぁ。
鍵富くん写真は第73回日本音楽コンクールヴァイオリン部門で高校在学中に史上最年少優勝した鍵富くん。ボクがクモ膜下出血を完治し退院して間もない頃、店を休んで営業時間を短くしたツケが回ってどうしても売上が回復しないのを知って、「尾形さん、コンサートやりましょうよ」と申し出てくれた。彼の優しさ。それはそれは嬉しかった。だから彼と友人の湯浅さんには今でも本当に感謝している。演奏会当日。この小さな箱で聴くヴァイオリンの音色は繊細で、歌うように音楽が流れて行った。本当に上手い!夢のような一夜。生きていて良かったと思った。