2014/03/22 | Mummy's Sweet Home

Mummy's Sweet Home

インテリア大好きなmummyのブログ

彼女のメールには、闘病の記録が書かれていました。


あの子やご家族が闘った記録でもあるけれど、
それは同時に、


あの子が弱っていく様子でもあり、


とてもショックを受けました。


あんなに元気だった子が、、、、


こんなことになってしまうなんて、、、


可哀想という思いだけでなく、


怖い、と思ってしまいました。



高校時代の部活の仲間である彼女は、とても優秀でした。


両親共、医者で、
仕事優先の母親に代わり、
学業、部活、家事を完璧にこなしていました。


東大も行ける頭脳を持っていたのに、
自分は母親のようにはなりたくない、という思いから、
料理の専門学校に進みました。


彼女の夢は、家庭を守る良きお母さんです。


ところが、やはり彼女には物足りなかったのか、翌年には受験をして、
御茶ノ水女子大にすんなり合格。


他大学とのサークルつながりで出会った東大の旦那さんと結婚しました。


優秀な彼女でしたから、一度は、
霞ヶ関で働く役人に。


でも、そのキャリアも、あの子が生まれたら、きっぱり捨てて家庭に入りました。


彼女の夢は、家庭を守る良きお母さんですから、
子どもはたくさん欲しいと言い、
3人の子どもに恵まれました。
 


彼女の才能は、家庭で発揮されました。
 

いつも整理整頓されたリビング、



手作りのままごとセット、



手作りのパズル、



質の良い絵本、



詳細な子どもの成長記録、



可愛らしくデコレーションされたアルバム、



栄養満点の料理、



手作りのおやつ、



季節が感じられるディスプレー、



子どもたちと一緒に作ったウォールステッカー、




深い愛情をもって、

子どもたちが楽しめる工夫をしていました。



あの子もとても優秀で、
『天才児』って、
こういう子のことを言うんだな~と感心したものです。



うちに遊びに来たのは、
確か3、4歳でしたが、
普通の同い年の子がとうてい知ることのないであろう熟語が
会話の中に入り交じっており、
大変、驚いたことがありました。



最後にあったのは、年長さんでしたが
「数字にも興味があって、
  もう京とか垓とかもわかるの。」


そんな風に、彼女が誇らしげに語っていたのを憶えています。


もちろん、彼女やあの子のことだから、
早期教育みたいにガツガツしたものじゃなくて、
本当に、楽しんで追究したに違いありません。


頭脳明晰なだけでなく、
とにかく元気いっぱいで、


「うわぁ、男の子のお母さんって、
 大変そうσ(^_^;)」
と感じたほどでした。



そんなあの子が、


最後に会ってから、
わずか1年ほどで、、、



固形物の飲み込みや、しゃべることができなくなってしまっていたなんて、、、



そんな弱っていく我が子を彼女が必死で看病していたなんて、、、



想像しただけで、胸が苦しくなりました。



あの子を思い、



彼女の辛さを想像すると、



とても辛く、



涙が止まりませんでした。



彼女から届いたメールを読み返しては、



自分を重ねて、心を寄せ、



やはり涙が溢れてきました。



当事者でなくても、
それはとても辛いことで、



一日二日泣いていると、



彼女やあの子のことに心を寄せて、
深く考えるのがさすがに辛くなってきました。




無心で、たまってしまった家事をこなし、



もともと予定されていたママ友たちとのランチに行き、話を聞いてもらい、



息子の歌に癒されたり、



いつものように娘に読み聞かせをし、



久しぶりにアンティークショップも検索したし、



中断していたDIYも再開しました。




そんな風に、私を含めた周りは、
『日常』を取り戻してしまいます。



ところが、彼女やご家族は、


あの子の写真、


洋服、


お絵描き、


ランドセル、、、


家中の至る所に溢れるあの子に触れる度に、


大きな悲しみや喪失感に襲われることだと思います。



それは、壮絶な苦しみだと思います。



実は、私の祖母も長男を2才の時に亡くしています。
私の伯父にあたる人です。


遺影の伯父さんは、いつも私より小さくて、可愛い坊やのままでした。


祖母は、愛しい息子を亡くしてから、
悲しみに暮れ、
しばらくは、
同じように子どもを亡くした方を慰問していたそうです。


同じ思いをした方を慰めてあげたい、という優しい思いと、
同時に、
同じ思いをした方に、その壮絶な苦しみを慰めて欲しいという思いがあったのだと思います。


やはり、想像はできても、
同じ立場にある人でないと、
苦しみを理解するのは、難しいのでしょう。

  

これからこの苦しみと対峙していかなくてはいけない彼女を思うと、


やはり涙が溢れ、心配になります。



しかしながら、『日常』を取り戻していくことのできる私と会うこともまた
辛いことなのではないかな、
とも思い、



私からは、会うことはできません。



葬儀などの連絡も
私たち部活の仲間には届いていません。



何もしてあげられないことが悲しいです。



もちろん、いつか、彼女が、
私を必要としてくれた時には、
何もできなくても、
彼女を訪ねたいと思います。



今は、ただ、


あの子のご冥福をお祈りします。