9月2日
第二次世界大戦敗戦を受けて
降伏文書に調印した日
歴史の教科書は
8月15日を終戦記念日としているが
真の終戦日は
この日(9/2)と云える のではないだろうか
我 こう思う
8月15日 は 日本が降伏を宣言した日
9月 2日 は 日本が終戦を国際的に認め
連合軍からの降伏文書に署名し
国の再建をスタートさせた日
まぁ 史実のことは
個人が意見するものではなく
歴史家の方々にお任せすべきことですが・・・
そんな
9月2日
改めて
重光葵 氏 を 想う
重光葵 氏
1911年外務省入省
外交官
1931年満州事変後
1932年第一次上海事変が起き
中華民国との停戦交渉を行う最中
上海にて爆弾テロ攻撃に遭い右脚を失う
外交官 として
海外駐在大使 として
外務大臣 として
昭和 の 戦前 戦中 戦後
日本の平和
のために
尽力された方である
特に 彼の功績としては
第二次世界大戦
敗戦後
当時の
東久邇宮内閣において
外務大臣であった重光氏
誰も引き受けたくない 降伏調印式
その白羽の矢が
重光氏に立つ
1945年9月2日
義足の重い右脚を引き摺り
調印式のミズーリ艦に
乗り込み署名する重光外務大臣
彼は
この日のことを
『 不名誉な 終着点ではなく
再生 のための 出発点てある 』
と
捉え
天皇陛下にも そう報告している
更に
彼の素晴らしさは
それだけにとどまらない
調印を終えた その数時間後
GHQ から
突然の通達
その内容は
ポツダム宣言を反故にし
日本を占領軍の軍政下におき
公用語も英語にするというもの
驚く いや 怒る 重光氏
翌 9/3早朝
彼は
怒りに震えながら
マッカーサー氏のもとを訪れ
握手も拒否し
猛烈に抗議を行ったという
恐らく
その形相 その言動 その迫力
は
相当のものであったろう
その結果
マッカーサー氏は
重光氏の抗議を受け入れ
日本は
軍政を免れたのである
この事実(経緯)
について
世の中での評価があまりにも薄い
のではないかと 思えてならない
もし
重光氏の
この勇気ある迅速な行動が無かったら
間違いなく
今の日本は違う国になっていた のだから
現職時代
満洲国建国 反対
三国同盟 反対
太平洋戦争開戦 反対
ポツダム宣言即刻受託 賛成
対 中国
対 英国
対 ソ連
重光氏の想い 考えは
首尾一貫 平和を探求し続けた
重光葵氏
の
著書も多くありますが
下記
政治学者 辻野 功 氏
の 研究ノート に
詳細が記されている
少々長い文書でありますが
是非 ご一読をお勧めしたい
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/KJ00005180227.pdf?file_id=3410
かえすがえすも
今
日本の政治家に
重光氏
のような
気骨で 正義感 に満ちた政治家
が
いないことが
情けなく 残念でならない

