interior4141のブログ -34ページ目

interior4141のブログ

『さぁ、インテリア大好き人間はこの指とまれ!!』
と始めた当Blogもいつの間にやら団塊オヤジの呟きに• • •


65歳で(株)日本国の正社員となり半永久??有給休暇を取得

今は気楽なシニアライフを楽しむ身として日々感じたことを書き留めていきます

9月2日

第二次世界大戦敗戦を受けて

降伏文書に調印した日



歴史の教科書は

8月15日を終戦記念日としているが

真の終戦日は

この日(9/2)と云える のではないだろうか



我 こう思う

8月15日 は 日本が降伏を宣言した日

9月  2日 は 日本が終戦を国際的に認め

        連合軍からの降伏文書に署名し

        国の再建をスタートさせた日



まぁ 史実のことは

個人が意見するものではなく

歴史家の方々にお任せすべきことですが・・・



そんな

9月2日

改めて

重光葵  想う




重光葵

1911年外務省入省

外交官

1931年満州事変後

1932年第一次上海事変が起き

中華民国との停戦交渉を行う最中

上海にて爆弾テロ攻撃に遭い右脚を失う



外交官 として

海外駐在大使 として

外務大臣 として


昭和 の 戦前 戦中 戦後


日本の平和

のために

尽力された方である




特に 彼の功績としては


第二次世界大戦

敗戦後


当時の

東久邇宮内閣において

外務大臣であった重光氏



誰も引き受けたくない 降伏調印式


その白羽の矢が

重光氏に立つ


1945年9月2日

義足の重い右脚を引き摺り

調印式のミズーリ艦に

乗り込み署名する重光外務大臣



彼は

この日のことを


『 不名誉な 終着点ではなく

再生 のための 出発点てある 』


捉え

天皇陛下にも そう報告している



更に

彼の素晴らしさは

それだけにとどまらない



調印を終えた その数時間後


GHQ から

突然の通達


その内容は

ポツダム宣言を反故にし

日本を占領軍の軍政下におき

公用語も英語にするというもの



驚く いや  怒る 重光氏


翌 9/3早朝

彼は

怒りに震えながら

マッカーサー氏のもとを訪れ

握手も拒否し

猛烈に抗議を行ったという


恐らく

その形相  その言動  その迫力

相当のものであったろう



その結果

マッカーサー氏は

重光氏の抗議を受け入れ


日本は

軍政を免れたのである




この事実(経緯)

について

世の中での評価があまりにも薄い

のではないかと 思えてならない



もし

重光氏の

この勇気ある迅速な行動が無かったら

間違いなく

今の日本は違う国になっていた のだから




現職時代

満洲国建国 反対

三国同盟 反対

太平洋戦争開戦 反対

ポツダム宣言即刻受託 賛成



対  中国

対  英国

対  ソ連


重光氏の想い 考えは

首尾一貫 平和を探求し続けた





重光葵

著書も多くありますが



下記

政治学者  辻野 功

研究ノート 

詳細が記されている


少々長い文書でありますが

是非 ご一読をお勧めしたい


http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/KJ00005180227.pdf?file_id=3410



かえすがえすも


日本の政治家に

重光氏

のような

気骨 正義感 満ちた政治家

いないことが

情けなく 残念でならない