今でも
部屋の隅棚に鎮座するボール
想い出のボール
このボールには
ほろ苦い青春が詰まってる
実際にはこのボールは5代目
手の指の短い我はセミフィンガーという
中指 薬指の第一関節と第二関節の間まで入るものを使用
( 因みに指の長い人やプロは 指の第一関節まで
しか入らないフィンガーというボールを使用 )
ちょうど二十歳の頃
ボウリングが大流行
我も
ワクワク
レーンに向かった
ゴロゴロ 転がるボール
バーンと 弾けるピン
スペア ストライク ダブル ターキー
フック ポケット ガター タップ スプリット
レーンに刻まれた
7つのスバット
その右から1番目と2番目の間
めがけて
ショートフックを投げ込む
ポケット(1番ピンと3番ピンの間)
に入れば
ボールは
1番ピン 3番ピン
5番ピンと9番ピン
となぎ倒し
残りの6本はピンアクションで倒す
バァ〜〜ン
一瞬にピンは弾ける
気分爽快
ストライク
そして
初めての 200アップ
田舎町(米沢市)の新人戦にも出た
準優勝もした( 優勝ではありません 笑 )
アベレージ170を超え
楽しかった
夢中になった
当時
ボウリング場は
待ち時間 1〜2時間
ならば
ボウリング場にアルバイト申し入れ
フロント係として採用された
時は
大学4年 進級の春
一年間の休学届を提出し
ボウリングに打ち込んだ
アルバイト仕事 前後
従業員 練習ゲームを利用
投げて 投げて
転がして 転がして
ハイスコアは276
一年間頑張ってはみたものの
プロ資格(60ゲーム) アベレージ190
には ほどとぉ〜く
親父と約束した 一年が過ぎ去った
これ以上は もう無理だ
挫折し 諦め
大学4年 卒論に戻った
その後
そのボウリング場から
一人のプロボウラーが誕生した
サウスポーの女性
切れ味鋭いカーブボールを投げていた
TVにも出ていた
でも いつも
残念ながら予選で姿を消していた
厳しいプロの世界
当時の
スターボウラーは
中山律子さん 須田開代子さん
矢島純一さん 岩上太郎さん




