自分はマウントを取られやすい。

いつ頃からかそう思い、そして疲弊した。

 

会社の部下にいつも
「相手が喧嘩を仕掛けてくるムキー

と言って嘆いている人がいた。
 

私は
「あなたが喧嘩を買っている…、と言うか、

相手は喧嘩を売っていないのに、勝手に買い込んでいるよ?」
 

と伝えたら、
 

「ええ?そんなわけは!ゲッソリ」と言うので、
 

こう言う見方があってね…、と伝えたら驚いていた。
 

「今まで喧嘩を売って来ていると思っていた…ゲロー
 

<自分はマウントを取られやすい。

 いつ頃からかそう思い、そして疲弊した。>
 

私自身も自分でマウントを取られやすいと思っていたが、

自分に何か要因はあるのか?
 

相手にマウントを取る人は、

その人の劣等感を刺激してしまうことに発端があるのだから、

マウント取る人は自分の弱さを隠すためにやってしまうので、

気にすることはない。
 

と、言われるものの、当事者としては
 

(そうは言っても、まぢ辛いんですけどガーン
 

なので、どうにかしたくなる。
 

で、自分が選択したのが、自己武装であった。

論理的な考え方、根拠のある説明、

相手を説得する話し方、周りへのネゴシエーション

しかし、やってもやっても、

次々とマウント取ってくる相手は現れる。

死なないゾンビのように。
 

<自分はマウントを取られやすい。

  いつ頃からかそう思い、そして疲弊した。>
 

そうこうする内に、自分は精神疾患に罹患し、休職した。

部長職を解任され、復職しても、未だ以前のようには、

いや正常には(正常ってなんだ?)働けない。
 

でも、不思議なことが起こった。
 

それまで、なかなか喋らなかった人と喋られるようになった。

軽い冗談が出る。

同世代、若しくはやや年下の人はタメ口で接してくる。

もっと下の世代も気楽に話す。

上の世代は気遣ってくれる。
 

なんだ?自分が病気だからか?

最初はそう思った。

しかし、どうやら違った。
 

<自分はマウントを取られやすい。

 いつ頃からかそう思い、そして気づいた。>
 

復職して暫くして、自分が元気に人前に出られる時は、

積極的に話しかけ、人に慣れようと努めた。
 

でも、これまで「仕事」でしか付き合いが無かったから、

どう話しかければいいのか分からなかった。
 

女性には服装や髪型を誉める事から始めてみた。

そのうちに、自分の悩みの相談が出来るようになった。

男性にはセクハラに当たってはならないと思ったので、

暫く仕事振りを見ていた。

そして、その中で見つけたことを誉めてみた。

女性も仕事の内容で誉めていった。
 

そのうちに、その人達に質問が湧いてきた。

社内の仕事の全てを理解しているわけでは無いので、

愚直に質問してみた。

それがまた、仕事以外の事にも繋がった。
 

<自分はマウントを取られやすい。

 いつ頃からかそう思い、でも変われると思った。>
 

気付くと、周りの人々が優しさで見守ってくれている事に

気づいた。

会話をしなくても、気遣ってくれている事に気づいた。
 

元の部署からは

「無理にはお願いしないですが、出来たらまた、

部長として戻ってきてください。待ってますから!」

と言われたりした。

それも、お世辞ではなく、本気の顔だった。
 

いつしかマウントを取ってくる人が居なくなった。

いや、在籍はしているんだけど。
 

思えば、自分自身が

「闘わなきゃ!」

と、肩肘張っていたのだろう。
 

そして、最初に書いた部下のように

(自分はマウントを取られやすい

だから、なめられないようにしないと!)

って、思っていたのが、

相手に伝わって、相手も臨戦態勢にさせていたのかもしれない。
 

<自分はマウントを取られやすい。

 いつ頃からか、マウントは取られなくなった。>
 

素直であること。

謙虚であること。

感謝すること。

愛すること。

信じること。
 

頭では分かっていること。

でも、時に感情的に反応してしまうこと。
 

病気になって、自分の思考の癖を見直して、

発作的に発生する心身反応に、
 

(何故そのように反応するのか?)
 

を、ずっとずっとずっと分析した。
 

そして、自分なりの答えが出た。

この答えが今後変わることもあるだろう。

多分、通過点なのだろう。
 

しかし、明らかに現実は変わったのだ。
 

<自分はマウントを取られやすかった。

  いつ頃からか、自分は変わった。>

2人、、「出逢う人は自分の鏡」というテキストの画像のようです