FIA会長マックス・モズレー発案の来シーズンからのエンジン開発凍結案だが本当にF1にさらなる繁栄をもたらすのであろうか?


私はモズレーのエンジン開発凍結案には非常に疑問を持っている人間の一人である。


モスレー曰く現在400億円程度かかっているトップチーム(いわゆるワークスチーム)の予算を半額以下の160億円程度まで削減したい意向の様だ。


しかしモズレー発案のエンジン開発凍結で最も被害を受けるのはワークスチームではなく中、小規模のチームにエンジンを供給してきたエンジンサプライアーであるコスワースであるということは皮肉としかいいようがない。


コスワースの試算によればF1のエンジン開発が凍結されればこれまでF1エンジンの開発に携わってきたエンジニアを含めて従業員の約40%を解雇しなければコスワースは会社として成り立っていかないということだ。


当然のことだがワークスチームもエンジン開発が凍結されればエンジン開発のチームの多くの人々は現在の職を失うことになってしまう。


失業者を出してまでF1を強引に変革させようと考えているモズレーの意向は一体何なのであろうか?


モータースポーツ、特にF1はエンジニアを目指す若い技術者たちに夢を与えなければならないと私は考えているのだが現在モズレーの実行しようとしている改革はそうではない。


改革と聞くと多くの日本人はこれまでよりも良くなることを想像するものだと思うが改革はあくまでこれまでのシステムを新しいシステムへ変更させるだけであり、改革をしたら良い方向へ進むというわけではないのだ。


現在のF1の改革がまさにその好例といえるだろう。


F1がF1であるのは世界中のモータースポーツでドライバー、チーム共に最も過酷だからである。


そのためには金を出し惜しみしている場合ではない。

特にワークスチームはF1での技術をいずれは市販車へフィードバックしていくためにも常に資金を投下して新たな技術革新をしていかなくてはならないのだ。


その技術革新を中止させようとするモズレーの案は暴案でしかない。


ステータスを失ってしまったF1に残っているのは現在のチャンプカーのような無残な結末だけだ。