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日出国の五千年検証のSFノート

手前味噌な説ですが、確定している日本の正史は2600年余り…ですが、記録が残っていないだけで日本の国家としての歴史は5000年だと考えています。
科学的、地学的、考古学的、宗教学的にSF加味して検証したいと思います。

第8回です。
前回、古代日本の最初の首都は諏訪エリアと云う説を説明しました。
と云う説だとして…どういう首都だったんでしょうか?
おそらく、太古の昔の諏訪湖は、現在の諏訪湖から倍以上大きかったと推測します。その根拠は、江戸の時代諏訪湖畔にある高島藩の高島城は、城郭の西側は堀ではなく諏訪湖だったと文献に残っています。山からの土砂の流入と土地の埋め立てによって現在のサイズになったとされています。また、諏訪湖東側は平地が広がります。長い年月をかけて四方の山々からの土砂の流入が続いた結果、どんどん東側が埋まり西側だけになったとしたら、かなり大きい湖が存在していたと仮定出来ます。上社本宮、前宮、下社春宮、秋宮が湖畔に存在していたのではないかと考えます。ですが、縄文と言われる古代です。諏訪大社という存在ではないと思われます。僕は、諏訪大社はかつての政治中枢の官庁もしくは黒曜石を取引するための会社組織の所在地だったのでは?と考えています。人々の住まいは、茅野市街から上田方面に伸びる大門街道沿いに有ったと考えます。現在の茅野市街は、おそらく諏訪湖の範囲内ですので、ちょっと白樺湖の方に上がった所辺りから街道を上田の方に向かった山の中に有ったと思います。この辺りには、国宝に指定されている縄文時代の女神像と妊婦の像が発見されています。人々の生活があった証拠の一つです。
前回説明した、御射山神社は、大門街道から西に10km程度先にあります。その御射山神社からさらに西に数㎞行くと現在でも黒曜石が転がっているエリアがあります。
現在、霧ヶ峰高原と言われる場所があります。
霧ヶ峰といえば…某電機メーカーのエアコンのブランド名ですが、ちょっと天気が悪いとすぐ霧に覆われる所なので、霧ヶ峰。実は、この霧ヶ峰、諏訪湖からの標高差800m以上あります。なのに、車で30分程度で着きます。諏訪湖から近いので、実は一ヵ所尾根から諏訪湖を一望出来るポイントがありました。標高1680mの霧ヶ峰の尾根から標高800mの諏訪湖が眺められます。この絶妙な位置関係から、霧ヶ峰は権利者の館があってもいいのでは?と考えました。また、霧ヶ峰がこの時の国主の館があったとした時の諏訪湖畔から上がって来る登山道の入り口に二つの神社が存在しています。手長神社と足長神社です。社歴上では、諏訪大社のお目付け役という立場のようですが、このポジションは国主の館に上がる道の検問の役目をしていた役所だったと想定します。
上社と下社。僕の想定は、下社は官邸、上社は黒曜石取引の本社だったのでは?と考えています。下社が官邸とした理由が、下社から御射山神社に直接上がれる道があると云うことです。そして上社が会社組織としたのは、本宮と前宮の建物規模が違い過ぎる点です。前宮は会社組織として移転前、もしくは経営者の館跡で本宮が本社機能のある施設。また、東と西で場所が別れているのは、大昔には上社と下社で対立関係にあったという文献があるので、本来は違う組織だったのでは?と考えてます。
国主の館は霧ヶ峰のどこに有るのが理想的でしょうか?僕は、現在の車山肩と言われる所の最も南側にあるとちょうど良いと考えています。何故なら、ここに位置すれば御射山神社での競技会を実は一望出来る場所だからです。五千年以上も昔の事からこれだけ年月が経てば、地形の変動や人工的な工事による変化も考えられますが、霧ヶ峰と云うところは道路の建設以外はあまり手を加えられていない所でした。そのため、世界的にも重要な研究の自然である八島ヶ原湿原や踊場湿原が残っています。
また、霧ヶ峰と云うだけあって、国主の館を霧で隠し易いと云うセキュリティにも十分な場所です。
古代日本の最初の首都、諏訪エリア。

次回、政治の中心にはどのような人物が君臨していたのか、考えます。