古来、どっからどこまでの時代が古来って言ってよいのか分かりませんが、最初に渡来した原始日本人となる種族が北方回りで到達したCとD、南回りで到達したCとD。Dに関しては性質はおそらくあまり変わらず、Cに関しては、共に狩猟系(ハンター)ですが、北は山岳を得意とし、南は海上を得意としたと考えられます。
日本人の遺伝子yの継承は、古代の時代に確定して以降他の種族の融合や侵略を受けていません。と云うことは、あともう一つ遺伝子y系統の種族が日本人には存在しています。
中国大陸黄河流域を発祥とするO系統の種族です。このOの民は、かなり厄介な所があるようです。基本的には、稲作を手にした種族です。農耕民族の何が問題なのか?と思われますが、今まで土地と云うものの所有権を個人でも集団でも、誰も主張してこなかった時代です。土地に価値を付けなかった時でもあります。
ですが、農耕となると耕作に向き不向きと云う土地が在り、作付けという所有権が土地を含めて発生してしまいます。Oと云う種族が朝鮮半島を経由して日本海を渡り、日本(ヤマト)に到達した時、日本と云う所は所々にCとDの種族が散らばり、入植するにしにくい状況がありました。まだ、日本列島所々の火山が常に何処かの噴火が続いていた時代です。農耕に適した平野地は限られたものしか無かったと思います。また、タイミング的にも出雲&諏訪の民が海外交易を出雲の地を拠点に始め、黒曜石の利権が潤ってきはじめた頃でもあったと思います。
そして、このOの渡来がきっかけで日本と日本人最初の戦争が始まります。
Oの種族の侵略戦争勃発
悪いのは全てのOの民族ではなく、一部の強引な入植をしようとしたOの一部の種族だと思われます。この記述も古事記に書かれているのです。一つは、八叉の大蛇(ヤマタノオロチ)と因幡の白兎の時の鰐(ワニもしくはサメ)だと考えられます。オロチの討伐の逸話は、Oの強引な入植により不法な支配を受け始めた所をスサノヲノミコトをはじめとした諏訪の民により討伐された一件であっただろうし、隠岐島から出雲の方にワニを並べて渡って来たとする白兎の話でしたが、黒曜石の採掘をしていた者が、Oの種族の民の急襲を受け出雲に逃げ帰ってきた所を出雲と諏訪の民により救出、ワニと表現されたOの種族を迎撃したと考えます。
(第1次出雲戦争※1)
この時、交易の拠点をもう一ヵ所設けていました。長崎北部です。ここに拠点を作ったと考える根拠が、長崎くんちの祭りで有名なお諏訪さま、長崎の諏訪神社です。ここのリーダーは大国主命の長男とされている事代主命と諏訪の民の建御之雷男神です。ここを目指したOの種族は出雲へ向かった者達とは、やり方を変えたのです。対抗し強引な入植ではなく、権力に取り入るかのように入って来たのです。そして稲作を広めると共に、自分達の存在の価値を上げる努力をし、認められるよう進めていきました。
まずは九州で、水稲農耕と云う食料問題を解決する効果は、日向のCやDにとってあまりにも大きい出来事です。あっという間に日向や長崎の出雲のメンバーに影響力を持つ事になると出雲の権力への浸透を探っていくことになるでしょう。日向のDの民を祭り上げ、出雲へと乗り込んで行くのです。
ですが、世の中そうも簡単にはいきません。
出雲にも日向にもDの民というカリスマのリーダーには、長年のパートナーのCの民が存在するのです。この結束以上の絆の関係はそう簡単には崩れません。ですが、Oにとっては、Cの存在は邪魔の何物でもありません。
出雲を孤立させ、諏訪と日向の失脚を目論む作戦が開始されるのです。
次回、戦いと恋と主従な関係。
注)※1に関しては次回また取り上げます。