いまもっともメディアを騒がせている問題、

その一つは間違いなくギリシャの財政危機問題であろう。

本日五月九日のニュースで、EUはユーロ安定へ、

財政難に陥った国への90兆円の支援メカニズムを作り出したというのがあった。

GDPでは日本の十分の一ほどにしか過ぎない小国ギリシャから

端を発した問題が世界を大きく揺り動かしている。

これが現在のグローバリズムのもたらした脆弱性なのかもしれない。

一連のニュースの中で自分の興味を引いたものがあった。

それはギリシャの国債の格付けがのBBまで引き下げられたというものであった。

このニュースが意味するものはとても大きいと思う。


そもそも国債というのは投資の世界において、

もっとも安全な資産であると考えられている。

たとえば、証券会社でお金を借りるために

何らかの有価証券を担保をとしてだす場合、

国債であれば、額面の80%の価値があると考えられる。

80%というと少ないと思われるかもしれないが、

東証一部に上場している企業の株式がそれ以下であること


を考えると、国債の信頼性がわかるだろう。


その国債の格付けがBBつまり投資不適格ということは、

いわば、その国の経済への信用がまったく

ないといっても過言ではないだろう。

その国の経済自体にまったく信頼がなく、国債ですら

その信頼性がないとみなされてしまえば、

他の一般企業になど金が流れるはずがない。

そしてその不安はほかのヨーロッパの各国へも伝播していく。

この一連の金融不安は、さきほどもかいた通り、グローバリゼーションと

過度の金融の自由化が生み出した産物であろう。

いくらリスクヘッジを各個がしたところで、みなが倒れてしまえば元も子もないのである。

金融を適切に管理し、通貨の安定を図るために、IMFだけでなく、EMFやAMFなど

新たな枠組みが必要なのではないだろうか。

ポスト冷戦から世界は新しい時代を切り開く時が来たのだ。


written by Naoto

今、もっともメディアを賑わせているものはなんだろうと、ふと考える。


ギリシャをはじめとするヨーロッパの財政難は一面見出しに相当するだろうし、

普天間の移設問題や高速道路無料化の議論は平行線をたどったままである。


これらの議論はいわば成熟してしまっているかもしれないが、今一番、環境を考えたときにホットな話題が、高速増殖炉、もんじゅの再開である。

もんじゅとは何か、高速増殖炉と普通の原子炉の違いなどはgoogleで検索をすればすぐ分かるので、
簡単に説明をして、見解を述べようと思う。


そもそも、日本が原子力発電に力を入れている理由はいくつかある。

まず、潜在的に日本は資源が少ない国である、という前提を念頭に置くべきだろう。

原子力発電は天然ウランを濃縮し、それを燃やしタービンをまわす、という過程でいえば

火力発電と非常に似ているが、発電量の桁が異なる。

原子力発電はウラン少量(比較的、石炭などに対して)で大規模発電が可能だが、

リスクも高い。歴史的に見ればチェルノブイリ原発事故は過去最高の凄惨な事件と言っても過言ではない。

ひとたび事故が起これば、自動車事故や、工場が燃えるなどのレベルでは比にさえもならない。

強い放射能とそれの処理を一番の問題にすべきである。

簡略化していえば、もんじゅは長年運転が止まっていた。それはナトリウム漏れ事故を起こし、それを隠蔽していたためである。

しかし、ようやく始運転が6日、再開されたのである。

もんじゅ、の特徴は通常の原発で使い終わったものを再利用し、増殖させるという夢のような原発である。
しかし、それだけにリスクも大きいと言われている。


原発を知るには、プルサーマル計画や、MOX燃料、六ヶ所村などというワードの説明もしなければならないが、今回はもんじゅについてフォーカスを当てる。


そもそも、日本に原発は必要なのか。


答えは、正直分からない。


日本国民が現在の電気消費量を3分の2程度に抑えることができるのならば、原発は必要ないかもしれないが、そんなことはあり得ない。

再生可能エネルギーというものが現在世界中で注目されているが、原子力は含まれるのか。

個人的に、含まれてもよいと思う。ただし、放射性廃棄物を適切に処理することができる、という前提と、気候変動問題の解決という観点からのみである。


今後、電気自動車が普及し、さらに電力需要が増える中、原子力発電はなくてはならない事業かもしれない。むしろ、政府が長年そう考えてきたからこそ、何千億円と投資を行ってきたのだろう。


私がやはり注目しているのは太陽光発電である。

一家に200万円くらいの先行投資を行えば、電気自動車の電力は十分に賄え、家庭の電力もほぼ賄えるという。

問題はエネルギー変換効率をどこまで上昇させることが出来るかという点だが、せいぜい30%くらいが限界なようである。

太陽エネルギーというものは、常に地球上へ降り注ぎ、地球上の総エネルギーは上昇を続けている。

いわば、神なるエネルギーではないだろうか。


むしろ、既得権益を排除すれば、数千億円もの投資を太陽光発電事業に行えば、未来は明るいであろう。

一家一太陽光パネル


これが実現出来れば、日本の環境政策は随分と楽なものになるだろう。


しかし、電力会社の権益や、政府の対応を見ているとあり得そうもない。

日本の環境政策に限っては、どこの政党が行っても同じではないか。


次の参院選の中心的な公約や議論は消費税の増加だという。


一般的に消費税が引き上げられるのは嫌がると思うが、

税収でもなんでも上げないと日本の財政は崩壊してしまう。


なぜなら今問題になっているギリシャの赤字より何倍も赤字だからである。


企業なら潰れてるか、大量のリストラをしまくっているだろう。

普天間問題も大切、高速道路も大切かもしれないが、

財政問題も大切。


だけれども、地球環境問題が実は、人類が存続するために一番大切なのではないか。


どうしようもない議論だが、自然環境の崩壊を見つめていくだけというものは悲しすぎる。


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Written by Takeshi

例えば、生産中に汚染物質が出る財 A をなんとかして取り締まりたいとき、

政府はどのような対応を行うのか。


経済的なアプローチとして主に三つ挙げることができるだろう。

1. 排出量規制
2. 環境税
3. 排出量取引(排出量割り当て)


今回は、1と2を比較してみる。


排出量規制というものは、現在100unit の汚染が出ているため

70unitに減らしなさい!といった政策である。


これは非常に有効である。


なぜなら、政府の思うがままに総排出量を減らすことができるためである。


しかしながら、コスト効果は非常に低い。


なぜなら、無理やり政策を推し進めることは、社会的損失(social loss)を招くからである。

これはミクロ経済でいう死荷重の概念に近い。



要するに、排出量規制は限界費用曲線と需要曲線(排出する権利)の一致点で行われない限り、

過剰削減や過小削減が行われることを意味する。




一方、環境税は税はかけるものの、無理やり排出量を減らすという類ではない。


税の程度は限界費用曲線と需要曲線によるのだが、


税をかけることによって、汚染者の改善へのインセンティブを生み出し、

コストを下げることや、新テクノロジー開発によって総排出量を減らすことを目的としている。


さらに、環境税には、税収があるため、この税収を所得税の減少などにつなげることが出来れば、

所得税による労働力市場の歪みを軽減することが出来る。(二重の配当)





環境改善のための政策は、多種多様だが、根本的に導入のしやすさ、などから比較的ダメージとリスクが少ない政策がとられることも多い、




環境改善の国、日本はもう少し政府が環境政策に力を入れるべきではなかろうか。


さもなければ、近い将来、国際社会から孤立してしまうだろう。



Written by Takeshi