「気分はどう?」

「大丈夫です。」

「体調は?」

まさか花粉症であまりよくありませんとは言えなかった。

「これから移植をはじめてゆきます。先に、折れた根っこを取り除くから。」

 

二年前の平成二十八年三月、私は港区南麻布にあった「明智探偵事務所」のような歯科医院で親知らずを抜いて移植した。手術をしてくれた針村裕先生は政界で活躍された与謝野馨先生似の大ベテランだった。

 

針村歯科医院で治療を受ける前は、転居前の世田谷区桜上水にあった歯科医院に通っていた。ところがある日の治療後、いつもとちがって噛み合わせがしっくりと来ない。するうちキーン、ジーンと何とも形容しがたい痛みが走るようになった。治療してもらった虫歯のあった左上の歯ではなく、その真下の歯が痛むのである。こんなことははじめてだった。

しかし、私は、

≪そのうち馴染んで来るんだろう。よくあることだ。≫

とこれを一年半にわたって放置。愚かである。

 

平成二十六年十二月には豆腐さえ噛むことができなくなっていた。食事をしていないときは全く痛まないのである。しかし水以外の飲食物を含むと「待ってました。」と言わんばかりに痛みはじめるのである。

 

我慢は限界だった。私は広尾駅近くのオリジナルな雰囲気漂う歯科医院に飛び込んだ。

「なんだか『江戸川乱歩の美女シリーズ』だなあ。」

診察の結果、歯の根っこが真っ二つに割れていて、その先端に膿の入った袋(嚢胞)があることがわかった。これが激しい痛みの原因だった。消毒し、抗生物質を歯の根に注入してもらった。嘘のように痛みが消えた。これで安定する場合と痛みがぶり返す場合に分れるのであるが、私の場合は後者だった。薬の効果は三週間で、これを何度か繰りかえしていると、三週間が二週間になった。それでも嚢胞を切開して膿を出してもらうと楽になった。

 

平成二十七年十一月だったと思う。

「先生、右と左に残っている親知らず、どっちか抜いて移植してくれないかナ?」

「おッ、やってみますか。」

「インターネットで調べてみたんですけど、歯の移植ってかなりむずかしい手術みたいですね。はっきり言って歯医者さんの手技の上手い下手がモロに結果に出る、テクニカルな手術だと。」

「そうかい。」

「歯根膜を傷つけないように抜歯することが第一の関門とか。」

「榎本さん、あなた年齢は?」

「あッ、四十八です。」

「うーん、(成功率)50%かなあ。」

 

針村歯科医院の手作り感いっぱいのホームページに自家歯牙移植の症例200超と書いてあった。移植専門でやっているわけでもない市井の個人歯科医院がこれだけの実績を残すのは相当なことであるらしい。移植を得意とする豊島区長崎のO歯科医師がそう言っていた。また、荒川区町屋のT歯科医師は、

「セカンドオピニオンを、とのことですが、私自身は移植はお薦めしておりません。ですが、200症例という数は多いですね。おそらく失敗例も含んだ数字でしょうが失敗が多くてはこの数字は出ないです。いや出せません。移植に自信のある先生なんでしょう。」

さらに同じことを毎晩のように赤坂、六本木、西麻布で飲み歩いているチャラいデンティスト、いわゆるチャラデンにあんたはどう思うかと訊くや否や、ひょえーと奇声を発して消えて行った。

 

自家歯牙移植の費用は保険適用で10,000円程度である。しかし全額自己負担の場合は、20,000円から200,000円とその幅は広い。歯科医師の裁量に委ねられているのである。それどころか様々な情報が溢れるインターネット時代、一時的な金儲け、客釣りに利用している輩もいるのではないか。私は保険非適用でも26,000円であった。

 

何が本物なのか?

何が本質なのか?

大事なことは何か?

 

手術は成功した。

私は移植した左の親知らずに「文子」と名付けた。文子とは若尾文子さまのことである。

右の奥には「茉莉子」がいる。こちらは岡田茉莉子さん。

≪一生大事にするよ。≫

歯みがきが楽しくて仕方がない。

 

 

 

 

教訓。

医師、歯科医師、弁護士、議員、鮨職人、そして異性は、目元、口元、声で選ぶべし。

 

 

三月二十九日(木曜日)

仕事帰りに浅草一新へ。

 

 

 

橋本孝志さんから供してもらったのは次のとおり。

 

 

◆鮨(握りと巻物)

①小肌

 

 

 

②墨烏賊

 

 

 

③真鰺

 

 

 

④真梶木づけ

 

 

 

⑤本鮪赤身づけ

 

 

 

⑥本鮪とろ

 

 

 

⑦車海老茹で上げ

 

 

 

鉢の中の妖精

 

⑧真蛸(煮切り)

 

 

 

⑨真蛸(酢橘と天然鹽)

 

 

 

⑩煮蛤

 

 

 

⑪穴子

 

 

 

⑫干瓢巻

 

 

 

 

◆インターバル

 

 

 

レッドクロスの岡田茉莉子さん

 

 

◆酒肴

①真梶木すき身

②螢烏賊味噌和え

③若布と山葵

 

◆お椀

・浅蜊の味噌汁

 

◆飲み物

・キリンクラシックラガー(中壜)と同生ビール(小)

・お茶

 

◆勘定

お会計は10,000円弱でした。


 

 

-本稿の趣旨(再掲)-

「私の歯の痛みは私だけに苦痛を与えることができる。この歯痛は誰にも譲り渡すことができない。つまり人間的生の基本形式は本質的孤独である。」

――オルテガ・イ・ガゼット(スペイン)