西部邁(にしべすすむ)。保守思想家。著述家。
昭和14年3月15日、北海道山越郡長万部町に生まれる。平成30年1月21日、東京都大田区田園調布の多摩川で入水自殺。享年78。
私が西部先生と会ったのはバブル期の就職活動を終えた大学四年生のときだった。大手町で行われた講演会の後、先生の控室を訪ね、2、30分ほどお話しさせていただいたのが最初だった。
私が先生に話したことは、たったの二つで、西部先生の著作を読むことで自分のような者でも何とか社会に出て行ける勇気と気概を持つことができるようになった、という感謝の気持ちと、好きな著書に日本評論社から出た『蜃気楼の中へ――遅ればせのアメリカ体験』を挙げたことだった。傍にいたカメラマンの計らいで写真撮影もしていただき、後日その時の写真が送られてきた。
控室を出るとき、「私はもうじき死にますから。」と西部先生が言った。ふり返ると、「私はもうじき死にますから。」ともう一度。だが、先生の性格、気性については、翻訳本を除く全著作に目を通していたので私は驚かなかった。
西部先生は「あの時」、つまり30年以上前のあの時には、既に「こうする」ということを考えていたのだ。もちろんあの時点では自殺の手助けが必要になるほど己の躰にガタがくるとは予想していなかったと思う。
だからその一報に触れた時、「悪霊」のスタヴローギンのように石鹸を塗ったロープで首を括ったのかと思った。しかしなぜという疑問は残る。
今回の件でもう一つ思い出したことは中学生のときに見た「わが歌は花いちもんめ」というTVドラマである。エンディングで(文楽人形の)倅が老いた母を負ぶって山に入って行く姿が流れるのであるが、これが棘として深く突き刺さった。これは一体どういうことなのか、と思ったものだ。
誤解を与えかねず言い方は難しくなるが、西部先生が亡くなったことについて、私には悲しみが一切ない。しかし喪失感があまりにも大きい。
拠り所また一つ失ったという感覚は、これからこの種の痛みに耐え続けなくてはならないサイクルに自分が入ったということだと思う。
二月二十七日(水曜日)
仕事帰りに浅草一新へ。
橋本孝志さんに供してもらったのは次のとおり。
◆鮨(握りと巻物)
①小肌
②白魚酒蒸し昆布〆
③墨烏賊
④春鰹
⑤真梶木づけ
⑥本鮪赤身づけ
⑦本鮪中とろ
⑧車海老茹で上げ
⑨真蛸(酢橘と天然鹽)
⑩真蛸(煮切り)
⑪煮蛤
⑫穴子
⑬干瓢巻
◆インターバル
◆酒肴
①茶ぶり海鼠
②白海老
③平貝炙り磯辺巻
④若布と山葵
◆お椀
・蜆の味噌汁
◆飲み物
・キリンクラシックラガー(中壜)と同生ビール(小)
・お茶
◆勘定
お会計は10,000円弱でした。
















