ここ数年、力をつけてきた多くの学生連が集い、
早い時期から盛り上がりを見せる浜松がんこ祭の1日目。


良いなあと思ったところは、
コメント無しで順番はチェックした順番で動画を埋め込ませていただきます。





炎流 炎天花 浜よさ2014・キタラ



2014 3 15 浜松がんこ祭 東街区 夜宵


「極津」 がんこ祭2014 浜よさ



信州大学 浜松がんこ祭2014



名古屋学生チーム「鯱」 浜松がんこ祭2014



「早稲田大学"踊り侍"」 がんこ祭2014 浜よさ


夢道源人(浜松がんこ祭り2014・1日目)
「皇學館大学"雅"」 がんこ祭2014 浜よさ


「宮城学院女子大学よさこい部Posso ballare?MG」 がんこ祭2014 浜よさ


岐阜聖徳学園大学 柳(浜松がんこ祭り2014・1日目)


夢道源人(浜松がんこ祭り2014・1日目)


第14回浜松がんこ祭 1日目(2014/3/15)「神戸学生よさこいチーム 湊」


天狗ぅ(浜松がんこ祭り2014・1日目)





ここからはちょっともったいないなあ・・・。
と思うところがある連について一言コメントを・・・。

京都チーム「櫻嵐洛」さん。

第14回浜松がんこ祭 1日目(2014/3/15)「京都チーム「櫻嵐洛」


京都というと「京炎そでふれ」という単純なよさこいジャンルに
カテゴライズされないオリジナルな踊りという分類に属することが多いのですが、

京都チーム「櫻嵐洛」さんはそれなりの力がありながら、
「よさこい」でインパクトを与えて面白いと思わせる実は必須な要素が、
大きく抜け落ちているためにその力ほど面白い演舞が出来ていません・・・。

かなりもったいないような気がしますが・・・・。



次になんだかネットで文句ばかりを言っているようで申し訳ない常盤さん・・。

2014 3 15 浜松がんこ祭 東街区  常磐


常盤さんは、1つの壁をブレークスルーした後に大きな次の壁にぶち当たって、
勢いは見せるが停滞しているように感じてしまいます。

それは何故と問われれば理由は明確です。

常磐の演舞の形というものが完成されすぎて、
その次その次へとその形を変形させることが出来てないからです。

どのジャンルでも優れたトップランナーというものは、
常に時代の先端を走れるように、

自分の像を打ち破り常に新しい(時には実は古い昔のものの場合あり)形、

次の時代にもトップを走り続けられる自分たちの像を提示し続けて、
トップに居座ろうとします。


それはなぜかというと、人は前に見たものを飽きる生きものだからです。

百華夢想 浜松がんこ祭2014


百華夢想さんがちょっとずれた所をやっているので、
常盤さんが余計に固定された所に置かれやすい状況にあるのもあるのかな?

特に常盤さんは、様式美という観点からは出来上がっていて、
常盤さんをよく見ているよさこいファンは、

どこでどういう踊りの変化があってどういう振付で、
どういう煽りなどが入るのかという、
タイムラインまで予測できるのではないかと思います。

そういう意味で去年の常磐さんの一部での評価は、
常盤さん自身の手応えと大きなギャップが合ったのではないかと思います。





それでは、話の本題に入りますが、
そういう見慣れたものに対する『飽き』というものは、
急成長したけれど、それと同時に手本となる連に大きく影響され、
踊りが標準化された学生連全般にもある程度厳しい目で向けられるのです。


この浜松がんこ祭まで非常に頑張ったのに、

なんか自分たちへの手応えがおもったより少ないな・・・。
ちょっとおかしいぞ!

そう感じている連が参加者さんの中にもいくつかあるのではないでしょうか?


そうです、自分たちの個性を大きくをうち出すことに、
成功しないと、
皆が何をすればよいのか目標が定まって、
大きくレベルアップしたために祭りの中に埋没してしまうのです。


ですから今年はその連特有の強い個性を
上手に打ち出している連が大きく評価されると思います。

それと同時にある程度の力があっても、
個性を上手に打ち出してよさこいの面白さ、素晴らしさを
見る人に伝える力が足りない連は、

相対評価として大きく埋没した評価を受けてしまう可能性も高いのです。



それは全体的に大きくレベルアップした学生連ばかりではなく、
一般的なそれ以外の連にも向けられる現象が起こるでしょう。


震災を機によさこいはどういう経緯で生まれて、
どういう意図で行われたのか、

そして自分たちがなんのために踊っているのか、
誰に伝えたいものなのか明確になったため、

型にはまった踊りだけをしている連は、
おそらく大きく評価を落とす可能性があります。




昨年の高知よさこい祭りは全体的に素晴らしい祭りでしたが、
ある程度の個性を打ち出せた大きく成功した連と、

高知系といういわゆる型にはまって、
独自の個性を打ち出せなくて他の同じような踊りの連と区別のつきにくい、
どんぐりの背比べの連との大きな一線が引かれていて、

お祭を見る喜びでは、ある意味危機感を抱くような祭りでもありました。

あれだけ参加者で混雑した祭りの中で、
標準化された高知系の踊りをしてしまうと、
当然高知系を標榜しながらも、

同時に独自の個性を追求できていないと、
埋没してしまうのは当たり前に想像できることだと思うのです・・・。




そういう綿では昨年秋に行われた池袋の東京よさこいが、
非常に良かったと思います。
(見る人のマナーやモラルはよさこいの中でも最悪の祭りで注意が必要ですが!)

それぞれ様々な目標を持つ連が、
それぞれ特有の個性を打ち出そうと努力をしていて、
同じ方に埋没した連が少なく、
個性という面の発揮では非常にハイレベルで見飽きることがありませんでした。




個性をアピールするという面では、
踊り子さんを集めるアピールという面でも、
積極的に個性を打ち出し、
ツイッターなどでアピールしたり、

高知のよさこい祭りを負担が少なく楽しめるように努力をしていたり、
例えば AZUKI さんのように各地に支部を作る、
ワークショップを行うなどの努力をしている連が、
評価されたり注目を集める用になるのではないかと思います。



第14回浜松がんこ祭 1日目(2014/3/15)「信州大学YOSAKOI祭りサークル和っしょい」


同じテンポに乗った振付ばかりでもったいない・・・、
のは、信州大学YOSAKOI祭りサークル和っしょいさん・・・。


前に人は飽きると書きましたが、
単調な高速道路での居眠りの構造、

同じようなカーブと直線が続くと、
人は次も同じようなカーブと直線が続区と予測して、
疲れていると自分のオペレーションシステムを休める方を優先しようとして、
オペレーションシステムをシャットダウンしようとするんですよね・・・。

それと同じように同じような演舞の繰り返しを見せられると、
その演舞に対する見ようという意識が弱まって、
注意力が向かなくなってきてしまうのです。

長い4分半の中で、
そういう見る人の注意力を損なわれないように衣装チェンジや、
音色チェンジ、テンポチェンジ、ブレイク、
そして振りの変化を与えながらよさこいというのは成立することが多いです。


その辺をどう上手に高バランスを保ち処理することが出来るのか?
というのも今年のよさ来いの中でも勝負どころになると思います。


そういう様々な物事を上手に打ち出しアピールすることが出来る連や、
それに対する協力者がいる連、
他の連に道を示すことが出来る連が、
これからのよさこい、YOSAKOI の世界を引っ張って行くことになるのでしょう!