知られざるヨーグルトの歴史 | ブーフ、ブーフ、ブフフフフ……

知られざるヨーグルトの歴史

今回は、『学士会会報』No.846より、

(財)日本乳業技術協会常務理事・信州大学名誉教授

細野 明義氏の原稿を要約、一部構成を変えて、紹介します。



「健康増進法」が平成14年に公布された。 


この法律は、「特定保健用食品」や「栄養機能性食品」を

商品として販売するときの表示手続きになどについて定めたもの。


平成16年1月現在、「特定保健食品」として認可されている商品

400品目のうち、その6割以上を乳酸菌やビフィズス菌を用いた

「お腹の調子を整える食品」が占めている。


乳酸菌やビフィズス菌といえば発酵乳、その代表格はヨーグルト。


一般に、食品の機能について語るとき、

効用を強調しすぎたり、逆に不安を扇動したりといった、

科学の領域を踏み外した俗説が闊歩しがちだが、

殊ヨーグルトに限っていえば、常に乳酸菌やビフィズス菌に

関する科学的裏づけとともに、その機能が語られてきた。


その起源から現在にいたる歴史をひも解くことで、

知られざるヨーグルトの姿を明らかにしていこう。



「命の妙薬」ヨーグルトの発見


そもそも「ヨーグルト」という言葉の起源を探ると、ブルガリアに行き着く。

先住民族であるトラキア人が、ヨグ(固い)とルト(乳)を合わせ

ヨーグルト(固くかたまった乳)と呼んだのが、はじめとされる。


その普及に大きな役割を果たしたのが、ロシアの科学者メチニコフ

(1845年~1916年)である。


20世紀初頭、彼はブルガリアを旅したさい、

現地人がブルガリア菌を多量に含有するヨーグルトを常食している

ことを知り、それがこの地方の人たちの長寿の秘訣と考えた。


ヨーグルトに含有されているブルガリア菌を生菌の状態で多量に摂取

すると、大腸で腐敗菌が抑制され、早期の老衰と短命を防止させると

推論したのである。


その推論は、ヨーグルトの価値を「命の妙薬」と過大評価したもの

だったが、彼が免疫に関する研究でノーベル賞を受賞したこともあって、

当時のヨーロッパにヨーグルトを広めるきっかけとなったのである。



日本ではセレブの食べ物だった発酵乳


日本において、最初に乳加工の技術が導入されたのは、中国大陸との

交流がはじまった6世紀半ばのこと。


大伴連狭手彦が戦のためにいった高句麗から大和の国に帰還するさい、

引き具した中国人(呉人)の智聡によって牛乳の加工技術が伝えられた。


『類聚三代格』には、智聡の息子である善那が大化年間に孝徳天皇に

牛乳を献じて和薬使主の姓を賜り、

以後彼の子孫は乳長上という世襲職が与えられ、乳を扱う職をもって

朝廷に仕えたと記されている。


8世紀になると、大宝律令が制定されて、平城京に都が移され、

律令国家が誕生した。


新しい国では、律令が整えられ、医薬局に相当する典薬寮に乳戸

(宮中御用酪農家)を所属させるとともに、別院として乳牛院を置く規定が

定められた。


乳牛院で搾乳された牛乳は宮廷に用意され、

酪や酥、醍醐などが作られた。


これらの中で、「酪」がヨーグルトに似た乳製品であることが

『本草綱目』から推定されている。



幻となった発酵乳を徳川吉宗が復活


しかし、平安朝の没落とともに衰退し、酪もまた幻の発酵乳となった。


その後、日本では牛乳・乳製品は姿を消し、長い歳月が流れた。


発酵乳復活に寄与したのは、8代将軍徳川吉宗である。


彼は、安房嶺岡牧場(千葉県)に白牛を導入し、

チーズ様乳製品「白牛酪」を江戸幕府の官製品として作らせたのだった。


しかし、一般には、乳製品が流通することはなかった。


というのも、この時代の庶民、特に農民は、牛を農耕のための貴重な

財産として大切に飼育し、そこから得られる乳は孔子に与えてしまって

いたのである。


安政年間の黒船来航のさい、

牛乳を飲みたいというハリスの要望に対して、

周りの人たちが牛乳を求めて東奔西走したという話は、

いかにその時代、牛乳が一般的に飲まれていなかったかを物語る。


ようやく庶民の口に入るようになったのは、開国後の慶応2年に

東京で牛乳業者が誕生してからである。


大正元年には「滋養霊品ケフィア」の名前で東京麹町の阪川牛乳店

において日本ではじめてケフィア販売が開始。


ヨーグルトという名称での発酵乳の販売は大正3年、ミツワ石鹸

株式会社の創始者、三輪善兵衛によってはじめられた。


大正6年には、神戸市に株式会社神戸衛生実験所が設立され、

日本で最初の乳酸菌生菌製剤である「ビオフェルミン」が製造・

販売された。

後に商号をビオフェルミン製薬株式会社に変更し、現在にいたって

いる。


さらに、昭和10年には代田稔博士が人腸管から分離した乳酸菌を

用いた、ヨーグルトとはまったく形態の異なる日本独自の乳酸菌飲料

の製造に着手。

昭和13年に「ヤクルト」を商業登録した。


工業的規模ではじめて本格的にヨーグルトが作り出されたのは、

第二次世界大戦後の昭和25年のこと。

明治乳業株式会社が最初である。



プロバイオティクスの誕生


私たちのお腹には約100種類、数にしておおよそ100兆個の

細菌が棲みついている。


細菌の種類は大きく分けて、有用菌種と有害菌種がある。


前者は、食物の消化と吸収を助け、健康維持に役立つもの。

後者は、腐敗物質や発ガン物質、そして毒素を産出し、老化や疾病を

引き起こすもの。


有用菌種の代表的な例が、乳酸菌やビフィズス菌である。

免疫力を強めたり、有害菌の異常繁殖を抑え、様々な病気予防に

貢献している。


最近は「プロバイオティクス」という言葉が広く使われている。


この言葉を確立させたのは、イギリスの微生物生態学者フラー博士。


彼は1989年にプロバイオティクスという言葉を発明、

それを「腸内細菌フローラのバランスを改善することにより、

動物に有益な効果をもたらしている生きた微生物」と定義した。


乳酸菌やビフィズス菌も、プロバイオティクスの一種である。


抗変異原性、腫瘍抑制作用、血中コレステロール低減作用、

高血圧低下作用、病原菌に対する拮抗作用、腸管内有害物質の低下

作用といった腸内環境改善作用が期待され、

様々な研究が広く国内外で行われている。



プロバイオティクスがひらく未来の健康法


20世紀に抗生物質がもたらした恵みは計り知れないほど大きな

ものだった。


しかし、いっぽうで抗生物質に対する耐菌性の出現が新たな問題を

引き起こしている。


これに対し、プロバイオティクスは、抗生物質のように幅広い治療

効果はあまり望めないものの、疾病予防のうえで大きな期待がもた

れている。


21世紀はプロバイオティクスの時代であるとの指摘もなされている。


予防にまさる健康法はない」という見方を根拠にした考え方だと

いえるだろう。