愛は存在する

 

だが

愛をこの世で結ぼうとする試みは

成立をみない

 

精神の彷徨いばかりに終始して

実生活への反映が成されていない自分だが

 

サムライへの憧憬が幼い頃からあったのは

間違いなかった

それが自分のルーツにあることを知ったとき

今までの不可思議な思いが雲散霧消し

腑に落ちた

 

真剣に物事に向かう自分をとにかく馬鹿に

してきて

私につきまとう翳ばかり指さされてきたが

周りからの理解などどうでも良かった

 

生きることの意味やどこかにあるに違いない真実

 

男 正義 変身 根性 燃える 命を賭ける 

そんなワードが子供向けのTV番組に

散りばめられた時代に育ったものだから

ある意味お題目に踊らされてきたのは否めない

だろう

 

受けてきた教育など空疎に過ぎず

人間としての誠を貫こうとする者は闇に葬られる

 

前田日明氏が山本太郎氏について

言及していたように

体制に立てつくものは事故や病気で消し去る

ことなど現代に簡単だというのは本当だろう

 

私はこの世の悪さえ愛で包含できると

考えているが

ひとりの人間に真実の愛が存在するかと問えば

在るとも無いとも言える

 

真実を得られれば金などいらないと思う

 

愛の真実

意識しなくともひとは誰しも追い求めているのだ

と言える

薄々感じながらも日々の諸事に追いまくられて

日常に埋没しているのが現実の姿なのだろう

 

食うために愛を捨てる

でも心の奥底では愛が欲しい

そのアンビバレントな対立が

残念な悲惨さを産んでいるのでは

ないだろうか

 

大学に忍者の血族である教員がいたが

警戒されないように気配を消すように

心がけているという話を聞いた

 

俺自身は忍びではいたくない

目指す姿の実現には他の何もいらない

そんな覚悟が自分にあるのだろうか

 

亡くなった上田文雄さんが一万人に一人の世界で

苦しんでいた時期に自分自身には才能が

無いのだろうかと脱落しかけたが

 自分にはこれしかないと覚悟を決めて

蜘蛛の糸を昇り切った話を拝聴したことがあった

 

ある程度突き抜ければ 

眼前には異なった質の眺望が拡がる

 

悪が世にはこびるのは

ワルの中のワルは本物の悪だから

それ自体は真実だからではないのか

 

本物になるのは難しい

一瞬には錯誤の危うさがある

 

行けばいい

 

独り 独り …

 

 

 

 

 

むかしとなってしまったが

15年近く前 詩人協会の集まりに

誘われるがまま参加していた

ことがあった


詩を書くひとには真実を真剣に

探究している人が居るはずだと

思ってのことだったが

ただの井戸端会議に終止していて

肩透かしを喰らった


中心人物になるひとが

私が席を外している間に

あからさまな悪口を云い放っていたり

必ず なんの繋がりもない奴が絡んできて

難癖をつけてきたり

そんな所だった


参加した詩誌でも 毎回私の作品のみ

誤字脱字が散見し 電話で抗議すると

違うんだ と見え透いた言い訳を

してきた 

五校も重ねているのにあり得ない

話しである


くだらない人間関係と

目標を見失った自分に嫌気が差し

足遠くするようになって以来

本格的詩作からも遠ざかっている


今夜も現実の嫌な出来事が

頭の中で反芻して眠れないので

ふと西脇順三郎さんの名が思い起こされた

ため ネットサーフィンしてみた


氏の生き方に触れるにつけ

至極同感するものがあり

荒れた気持ちが凪いで

落ち着いてきた


吉増剛造先生が講義の中で

西脇氏について 

嫌なひとだったけどね

とぽつんと洩らしていたことが

あったが

そのときは やっぱりなぁ と

意を得たものだった


師弟関係はそういうもの

みたいなので

鷲田小弥太さんからも

師を持たないのは

怠慢だ と叱り飛ばされた

こともあったが

私は誰にも付かなかった


力のある人に引き上げられて

もらうのを

私は良しと考えなかった


ただ

中村稔さんの存在を知り

こんな生き方が出来たらと

自身の目標を立てたとき

強く思って今に至る


全く

思いとかけ離れた人生を

歩んでいる自分だが

夢は観るためにあるもの

ではないのは確かである


小千谷市を訪れて

西脇順三郎さんの足跡を

辿る旅に出たくなった

次第である