どーも。先日やっと、修士論文の第一稿を提出しました。

やる気がないなりには頑張れたかと。はぁ。


ところで、卒業まではもう少し戦いがありますが、ほっと一息をこめて、自分なりの論文執筆における体験談を。


まず、感じたことは、PCに向かっている時間で意味のある時間の少なさ。
これには、愕然とします。

何からやろう?
あ、メール。
あ、ネットサーフィン。
うーん。どうやって書こう。。
うーん。どうやったら分かりやすいかなぁ。
あ、このつぶやき面白い。。。。。。。。

と一切すすみません。終わってる。

そして、〆切が迫り、お尻に火がついてからやり始めます。(ギリギリパラダイムだなぁーww)


そのときにやった方法から学んだことを。これは他にも応用できる気がする。



速く楽に書くコツは、「適当にできることからやってみる」ことと「人に見せる」こと。


1.「まず図と写真を用意する。図も写真も無いものは書けない」(ただ、データ(事実)を並べる)

2.「全体のアウトラインを決める」(結論→目次→各部分で何を書く予定か箇条書きにする。)

3.「書きやすいところから書く」(学校のテストとかと同じ。弱い奴から倒す。実験方法とか余裕)

4.「人に見せる」(先生や同僚に見せる。見せれば見せるほど、速く楽に書ける。)


そして、何度も推敲していくことで、質を上げていくのが良かろうかと。
(今回の僕は、前述したようにケツカッチンだったので、質はありません。orz)


*ただし、人に見せるときはしっかりと自分の意見を持ちながらも、どんなことを言われようが折れない気持ちとそれらを受け入れるひろい心は忘れずに。

ときどき意味もなくずんずん歩く (幻冬舎文庫)/宮田 珠己

¥560
Amazon.co.jp


この本めっちゃ笑える。

草兄ぃの座右の銘である「ものぐさだけど、まえのめり」を生み出した元ネタの本である。

草兄ぃのルーツを知りたくて、それとなく買ってみた。

ところがどっこい。笑えた。おおいに笑えた。特になんの期待もなく買ったので、これはいわゆるサプライズである。ずるい。

宮田珠己さん(通称タマキング)の旅エッセイとなっているが、ジャンルをつけるのが難しすぎる。そのくらい脱線の多い、物事をななめにみる視点がいい感じなのである。


最近、何かとゆるむことが声高に叫ばれているが(俺のまわりだけ?ww)、この本は読むだけでゆるまる本であると思う。

なにかと、疲れていて、カチコチしている方は一読の価値あり。




余談。

先日、高草さんが僕の兄であることが分かったので、このブログで草兄ぃと呼ばせていただいたが本人のまえでは一度も呼んだことありませぬ。

草兄ぃのブログはテニスコーチ・技術人気ランキング一位であるので、興味がある方は飛んでみると面白いでしょう。『庭球四十八手』です。

余談2。

アマゾンのリンクを実験的にはってみた。
前回の説得力のある主張に必ず必要なことで予告した主張の崩し方について少々。


前回のおさらいとしては、主張・論理・証明は三位一体でこそ意味があると言わせていただきました。

<僕はGK無理説>

主張:GKがしたくない(できない)
論理:小指が骨折しています
証明:ギブスをした小指

という感じです。これのどこが欠けてもいけないよ。というお話でしたね。


今日の本題は主張の崩し方



主張を崩すには、論理と証明を崩せ

まぁ、当たり前かもしれませんが三位一体でなければ効果がないのであれば、そこの三位一体を説いてやればいいのです。

ただし!主張を否定する必要はありません。というか、それは頭ごなしの強制か洗脳です。
先ほどの例でいうと、「いや、君は本当はGKがしたいはずです。」というのと同じ。
これはいけません。しっかりとした論理的な主張にはこちらも論理的に行きましょう。


崩すのは論理。もしくは証明。

例えば、<僕はGK無理説>を論理で崩すとしたら、小指が骨折しててもGKやってたことを突き付ければいいのです。そもそも、骨折しているからGKできないという論理なのですから、それを崩せば自然と主張が崩れます。

あるいは、ギブスをした小指が自分で偽造したものだったとします。ギブスをしたのは見せかけのために自分がやったと。この場合もガタガタです。この場合、ウソの証拠を使ったわけですから、論理に対する信頼がなくなります。「ウソ」「インチキ」になります。


このように主張を崩す為には、論証(論理と証明)を崩してください。勝手に、主張も崩れます。



自分の思考力を鍛えよ

僕が主張の崩し方を書いた理由は、他人を論破しろということを推奨しているわけでは、ないんす。
実は崩してほしい相手がいるのです。


それは



自分です。

なぜかというと、自分の持ってる主張を一度崩して、また組み立てると、より強い主張が出来ます。

そして、この破壊と創造の繰り返しが思考のレベルを引き上げることになるんです。

いわゆる弁証法です。(リンクはWikiですww)

「弁証法とは、世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則とされる」らしいです。

ソクラテスの解釈だと、ある一つの考え方が内在的に伴うことになる矛盾を明らかにするために、その主張に疑問を投げかけながら議論することでより真理に近づこうとする方法を意味する。

らしいです。


ということで、いかがでしょう?


もしよかったら、僕と一緒に弁証法しませんか?www
すみません。ただ、飲みに行きたいだけです。

最近、論文を書いていて大切だなぁと思ったので書いておこうかと。


主張と論証は車における両輪であり、どちらかを欠かしてはいけない。

生活をしていく上で、様々な場面で主張を目にします。

会社で「研究開発にお金をかけていこう」という戦略的なもの。
個人的な「営業がしたい」「給料をあげてほしい」という要望とか。
家庭内で「夏は旅行しよう」「いただきますは全員がそろってからね」という謎の決めごとなど。

このような、主張には論証を付け加えると、一気に説得力が増します。というか、論証がないと
独りよがりになります。

ところで、論証とは何か?

それは字面を分解して考えるとわかりやすいのですが、論理と証明です。

・論理(Logic):話が正しいという筋道
・証明(Proof):話が正しいという証拠


例えば、今の僕がフットサルをするとしたらを考えてみましょう。なんとなくの雰囲気で僕がGKになりそうになったときの僕の主張は「GKはしたくない」です。

ここで、「小指が骨折しているから」と付け加えるのが論理です。怪我を悪化させたくないという前提を用いた論理です。

そのときに「ギブスをされた痛々しい子指」を見せるとします。これが証拠です。小指の骨折を裏付ける事実です。

話の道筋が合って、それを示しました。そこに主張があります。こうなると、周りも今回はGKはきついかもねぁとなります。このように主張、論理、証明は三位一体となって効力を出します。


主張、論理、証明は三位一体でなければ意味がない。

どれか一つでも欠けると、説得力がガタ落ちします。

主張がない

話は長かったけど、何が言いたいか分からない。という典型的な例です。一切意味不明です。
特に前回の話にもつながるのですが、基本的にデータとはそれだけでは無味乾燥であり、何の意味ももちません。

論理がない

先ほどの例で、GKをしたくないと言われて、ただ単ににやにやしながら小指を見せられたら、たまったもんでありません。主張と証拠がつながりません。

まぁ、「空気をよめ」という風潮は大いに論理を抜くものでありますww

証明がない


証明がないだけで、一気に論理の信ぴょう性がダウンします。というか、ウソなんていくらでもつけるわけでウソでないという証明がいります。
例えば、僕が平然とキャッチボールなんかをしていたら、必ずGKできちゃうでしょう。骨折はウソの可能性大です。


てな訳で、主張と論証はセットでお願いします。





次回は逆に主張の破り方を書こうかと思います。
大卒の就職内定率68.8%、過去最低 12月1日時点


この一文は皆さまにどんな影響を与えますでしょうか?

「超氷河期じゃん!!!」
「うわー、不景気って感じるねー」
「俺以外にも決まってないひといるんだろうなぁ」
「一つでも内定できて幸せもんだなぁ」

などなどなど。。。。


他人がどう思おうが僕には知ったこっちゃないが、やっぱり口を出したくなるおせっかい野郎でござる。


こちらでは考察の大切さを、前回は分かりやすく伝えるための定量的な意味をお伝えさせていただいたでござる。



今回は定量的な情報を前にしたときに取ってほしい行動を述べさせていいただきたく候。

そもそも、先ほどの68.8%っどうやって算出したか、誰が調べてるかご存じでござるか?

2011年卒業予定の約54万人に聞いたわけではなく、規模、地域、学力を考慮してバランスよく全大学の778校中、62校の生徒6,250人から電話・面接等の方法により、性別、就職希望の有無、内定状況等につき調査を実施してるんでござる。

文部科学省が主導となっていることも気に留めておいてほしいでござる。参考元はココ


ちなみに、直接生徒に聞いてるのは文部科学省から依頼された大学側らしい。(これは、直接お電話して聞いた確かな情報でござるwww)


とまぁ、与えられた情報を鵜呑みするのではなく、その数字は誰がだしたの?どんな方法でだしたの?などと思考を深めてほしいのでござる。


もっと言うと、どんな情報にもこういった深める(付加める)方法をとってほしいでござる。
その繰り返しが対象をより理解することにも、次なる有効な一歩を探る手掛かりにもつながるわけでござる。








で、ここからが拙者なりの稚拙な考察。

まず、このように文部省側が大学側の申告を集計するだけ(しかも一回のみ)という方法はかなり雑。ただし、文部科学省としても、この統計にやっきになる理由も特にないわけで、コストの面も考えるとこのくらいの調査が限度なのはうなずけるのでござる。

しかし、68.8%という値と拙者の実感値としてのズレは多少なりはあるものの、そこまでひどくはない。
確かに、就職氷河期であることも、雇用が減っていることも事実でござる。

だからこそ、拙者の考察としては68.8%という数字には、強い意味はなく、現在の社会に対する警笛にはなりえている程度でござる。

そして、今後も何年かはこういった状況が続くわけで、いかに自分がそういった状況に立ち向かうかが今後の明暗を分けるのでござる。決して悲観することなく、拙者に出来ることをこなしていくばかりでござる。






追伸。
文末を変に意識したため、書きにくかった。。。。でござるorz