ごぶさたしております。
みなさま 元気にお過ごしですか?
一部の友人や家族には話しましたが 私は持病の「うつ」から「適応障害」も経て 当分仕事をすることが考えられず 障害年金を申請していましたが 2度目の申請で通り、受給できることになりました。
不登校の息子と2人 パパからの養育費にも支えてもらいながら 暮らしてきましたが 将来、老齢年金が4万円くらいしかもらえない見込みなので とにかく不安で
年金申請と平行して 身体に負担が少なく長くやっていけそうな仕事に就くことも考えて資格の取得も目指しましたがこちらは落ちてしまい、それが解る少し前に年金申請が通りまして ガクリと落ち込むことはなく 助かりました。
決してそれだけで生きていける額ではないので やはり ずっと将来の事は不安です。
ひとつ有り難いのは パパの実家は持ち家&一人っ子なので 息子がどうあっても住む所はある事と
パパはとにかく息子を愛しているので(もちろん私もですが) このまま学校に行かなかろうが、仕事もしなかろうが 引き受ける。と言ってくれていること。
自分自身も 発達障がいが解ったり、会社は休業中なのに 何とか収入を得ているパパを 尊敬します。
なので 私とは離婚していますが 息子との関係は変わっていないし いつでも親権を移して生活形態を変えることができる、というのも とても心の支えになっていました
人生ほんとうに色々あります。
先日、人生で何度目かの もらい事故に遇いました
自転車に乗って車道の端を走っていたら、私に気づいていないおじさんが寄ってきて、沿道にすっ飛ばされました。
顔と脚などの軽傷で済んだのですが
自分に非がない事故は 車でもバイクでも経験しており
車に至っては 「よく生きていたな」と驚かれる程、車体が大破していて顔面に大怪我を負いました
21歳だったので 精神的にも「助からなければよかった」と思うほど辛い入院生活やその後を過ごしました。
バイクでは、曲がってきた車に引っかけられて転倒して バイクの骨組みも曲がってしまったのですが 高校生だった無知な私は
「やばい、車の修理代を請求される
」と思い 「大丈夫ですか?」としぶしぶ降りてきた加害者に 「大丈夫です!それより車の傷は大丈夫ですか
」と泣きそうになりながら尋ね、「それは大丈夫だけど…」と相手が言うなり
「じゃあ、失礼します
」と真っ直ぐに走らないバイクで逃げるようにその場を去りました
なので 「歩いている時」以外は、はねられています
そして、今回40を超えた私が事故後に思った事は
生かされた
です。
もうこれは完全に、自分は生きて、少しでも何かの役に立たなければ。と
さすがにそう思いました。
とはいえ 相変わらず毎日、最低限の事しかできず
息子の状況も変わらず
事故で やはり少しメンタルにもダメージがあり
障がい者手帳がもうすぐ発行されるので
グループホームでの暮らしも視野に入れて、何とか、とりあえず、生きていく方法を探していきます
家族には以前から相談しており
息子は この家(賃貸だけど)で生まれ育ったのと、自分の生活スタイルが少しでも変わってしまうのが嫌なようですが 仕方ありません。
パパの家に行けば 長年学校に勤めていた義母がいるし とても愛されているので 何不自由ないですし。
私には日々の助けや、心穏やかに過ごす環境が必要なので いまのままだと共倒れになってしまいますから
いろんな意見はあると思います。
けれど 私には自分が生きていることが 唯一息子にしてやれる事だと思うのです。
母親代わりだった祖母が 辛すぎる人生の最後を自分で終わらせてしまった時 私は高校1年生。
これからバイトでお金を稼いで車の免許をとったり、お婆ちゃん孝行を沢山しようと思っていた矢先でした。
どんなに悔やんでも 戻らない事実
誰もが恐れる、 いつか来る一番大切な人との別れは 恩返しをする時間さえ与えてくれませんでした。
だから その辛さだけは 息子にさせたくない、と思っています。
今まで 「しにたい」と思えば口にだしていましたが
先日の事故で 生かされている の実感してからは、たとえ思っても口にださずに飲み込むように心がけています
今日も読んでくださり ありがとうございました
