高市ブームは、特にまともな理由もなく、人々もその意味を理解しないまま大衆の熱気によって勝敗が決まった戦前の翼賛選挙を連想させます。高市早苗が斬新な解決策を示していないにもかかわらず、分からないけど何となくやってくれそうだと言って大衆が投票することで高市政権が誕生した。多くの新聞の論調も、理由が明確には分からないというものです。
しかしこの過程は、日本を破滅に引き込んだ戦前の情況にそっくりです。私の理解では、無能な上司に評価されようとして、役人がおかしいと思いながらも上司の意向に従って国家総動員法を作文し大政翼賛会体制を使ったのが戦前の日本でした。何も軍部が独走したわけではありません。国民全部が共犯だったのです。
この選挙のどこが悪かったかというと、国民が自分で考えようとせず為政者の派手な内容のない宣伝文句に乗って投票したことです。日本に特有な同調圧力(世間の力)もあったと思いますが、その結末が再現されました。
戦後にその反省をして二度としないと誓ったはずですが、それが嘘であったことが今回証明されました。それは、敗戦を終戦と言い換え一億総懺悔で個人の責任を曖昧にしてきたからです。戦争終結を議論した御前会議で陸軍の暴走から開戦と敗戦に繋がる諸決定の責任者追求の議論がなされていれば、早めに終戦して、沖縄戦、東京大空襲、そして、広島長崎の原爆被害者はでなかったはずです。
敗戦時、日本人は経験したこともない反省を迫られました。しかし、天皇責任論も含め戦争の責任者を同定する議論は起きず、一億総懺悔のみが市民権を得ました。戦後外務省での杉原千畝の冷遇やA級戦犯であった岸信介の首相就任は、この反省の欺瞞性を示しています。そして、国民はこの状態を否定しませんでした。
権力者が無反省に復帰した戦後の形だけの反省と同じように、今回の選挙でも裏金議員は形だけの反省をして、当選すると説明を拒否して自民党という組織に復帰しています。これが日本人の本質だとすると、現在の日本も、究極の敗戦である国債のデフォルトが起きるまで現在の体制が続くと危惧されます。
現代は悪名高きオールドメディアである新聞・テレビ、それらを目の敵にする週刊誌、そしてSNSなどがあり、報道管制は無理ですが、逆に多すぎて理解に苦労する時代です。したがって、戦前と比べて無知の国民は少なくなりましたが、忙しい社会で思考を倹約して情報社会に疑適応する国民が多くなりました。
高市首相は選挙期間中に具体的政策をほとんど発言していません、朝日新聞は、「保守色見せぬ高市演説 スパイ防止法・外国人政策ほぼ触れず 衆院選」という見出しで「首相は衆院解散の理由を『国論を二分するような大胆な政策に、批判を恐れず果敢に挑戦していくため』と主張。だが、首相の演説からは有権者の間で物議を醸しそうな保守色の強い政策は回避している傾向が浮かび上がる」と論じています(2026.2.4)。国会でもこれまでのようにまともに議論しないと、戦前の情報統制と同じ結果となって国民の知らないうちに破局を迎えてしまいます。
日本人の本性が戦前と変わらないとすると、本当にデホルトになるまで現状が続くことになります。今からでもいいですから、戦前の何が悪かったのかを反省してみてください。
北大教授の橋本努は「これまで、保守とリベラルの対抗軸は安全保障や憲法だったが、右寄りの高市首相の誕生で連立政権を目指す立憲民主党にとっては『中道』が他党との共通項になり得るので、少子高齢化に伴う社会保障のほころびなど日本社会の持続可能性に関わる課題にも対抗軸を広げられるよう取り組むべきだ」としています(朝日新聞、2025.12.14)。
このような批判を知っていたか知らなかったかは分からないが、野田党首は、安保法制容認発言をして、支持者や共産党から批判が上がりました(朝日新聞、2025.10.30)。このことだけをみても、立憲民主党にまともな安全保障政策がなかったことが分かります。もっとも、まともな安保政策がないことは自民党も同じです。防衛予算の金額だけに執着して防衛強化の内容を何一つ示せないことはマスコミで批判されていますが、ここではより本質的な問題点を指摘しておきたいと思います。
それは、軍事法廷の必要性です。専守防衛が国是ということは戦場が国内ということです。そうすると、民間人の犠牲は避けられません。そして、民間人を死傷させるのは敵軍だけでは味方もあり得るということです。索敵中に誤射することは少なくなく、それを裁判所で裁けば、100%有罪になってしまいます。指揮官が「人の気配がしたらためらわずに打て。地元の住人かもなどと迷っていたらやられてしまうから躊躇するな」などといえば、教唆の罪で拘束されてしまいます。もちろん、戦場でも犯罪が起きますが、その判定基準は日常とは異なるので、軍事法廷の法律が必要なのです。
これまでこの議論がなかったのは、「憲法に平和主義と書かれているから日本は戦争をしない」という暗黙の了解があったためだと思いますが、現在の世界状況では、かえって友好国の信頼を損なうのではないかと思います。
また、戦死者をどう扱うかも重要な問題です。靖国神社に祀って欲しいという人はそれでいいですが、それを拒否する犠牲者をどう処遇するかは難しい問題です。それぞれ自分の家の慣例に沿ってくれと言うことは、「政府は戦死者のために何もやらない」ということになりますので、そうはできません。無宗教の追悼施設の建立は不可欠です。しかしそれは必ずしも墓地である必要はないでしょう。犠牲者の埋葬は各人の家族に任せ、決められない方は無縁墓地に埋葬すればいいのです。
このような状況で日本のとるべき道は、自衛隊を合法として日本の防衛原則を再検討して世界に示すべきであると考えます。立憲民主党も、このような立場に立って党の安保政策を作って各党に提示すべきだと思います。その参考に、私の考えを述べておきたいと思います。
まず必要なのは、戦後の呪縛であるアメリカ一辺倒の安全保障体制からの転換です。日米地位協定の改正に消極的な姿勢などをよく考えれば、アメリカが最大で唯一の友好国でないことは明らかです。日本が攻められたらアメリカが守るのにアメリカが攻められても日本に守る義務がないのはおかしいというトランプ発言も日米関係が変わってきていることを示しています。そこで、この問題を糸口にして日本の安全保障の今後を考えてみたいと思います。
まず、日米安保条約はアメリカがこれでいいといって成立した条約だということです。したがって、トランプが言うべきは「当時の大統領はどうしてこれでいいとしたのだろうか」であるはずです。そこをまず押さえておきましょう。日本国憲法は国の交戦権を認めていないので、条約の相手国が攻められても、普通の提携国のように武力援助ができません。それでも米軍基地を使いたいアメリカが「それでもいい」と言ってできたのが、日米安全保障条約です。
ところが、戦争大好きの安倍晋三が無理矢理作文したのが、「自国が攻められていなくとも存立危機事態には自衛隊が出動できる」という安全保障関連法(安保法制)です。これを憲法違反としていた立憲民主党の野田党首が、野党結集の手段とはいえ容認したことは大問題です。たとえ一時的に野党連合が成立したとしても、本当の意味での「豊かで美しい日本」は想像できないと思われます。
安倍が軍事における日米協力容認したため、以前の状態に完全に戻すのは無理でしょうが、不戦国日本に限りなく近づける努力は必要だと思います。そのための第一歩は、憲法を以下のように改正することです。
憲法第9条3
ただし、他国からの力の侵略に対して何もしてはいけないということではなく、前項の規定にもかかわらず、抵抗して国際社会に訴えるだけの期間は持ちこたえられる防衛軍を所持することができる。
憲法第9条4
ただし、防衛軍は相手が物理的攻撃を開始する前に出動することはない。
本当は、自衛隊を認めた時点でこのような憲法改正を提起すべきだったのです。そうすれば、安倍の解釈改憲はなかったはずです。また、2回目の解釈改憲を認めると「日本には平和憲法があるから進軍しない」と言えなくなります。「そんなこと言ったって、また解釈改憲するだけで攻めてくるんだろう」という疑問に答えられないからです。
こう準備すれば、「巡航ミサイルは持つがあなたの国が攻めてこない限り使うことはありません」と言えるのです。
この立場を国内で確立して、日米安保条約の改訂を申し込みます。「不平等というのであれば、日本は自分で守ります。当分の間基地は今まで通り使ってもいいですが、駐留理由は日本防衛のためでなく、アメリカの太平洋線略のためです。したがって、思いやり予算は廃止して、同額を基地使用料として徴収します。そうすれば、毎年8000億円、日本の防衛費が増えます。地位協定も改正し、航空管制も日本に戻します」とアメリカに説明します。
つまり、アメリカ軍はこれまで通り基地を使えるが、自衛隊は共同防衛をしないという意味です。アメリカが同時に攻められている日本を守った方がいいと思えば共同作戦をするが、自衛隊は相手の国が攻めてきてからでなければ反撃しないという了解をとります。
最後の段落は、アメリカがどう出るか変わってきますので、事務レベルの話し合いで決めるしかないと思います。また、この関係で本当に戦争が起これば、現在のウクライナの状況になると思いますが、日本人はそれを敢えて甘受する栄誉に浴すべきだと思います。
私が不戦中立にこだわるのは、日本がすでにその地位を認められているからです。そのため、ウクライナのゼレンスキー大統領は日本には武器支援ではなく物質支援を要請してきました。彼は、はじめから武器支援は期待していませんでした。このような立場を維持することは、世界平和に寄与するという視点からだけではなく、自国防衛の視点からも肯定されるべきだと思います。
以上は私の考えですが、真剣に考えれば、このような議論が不可欠です。特に、軍事裁判所の設置は不可欠です。自衛隊が人を殺す場面を真剣に思索するのであれば。したがって、立憲民主党内で真剣な議論をしてこれまでにないまともな防衛政策を作ってください。
また、私は、日米安保条約を破棄し台湾の武力統一をしない約束を結んで中国と不可侵条約を結ぶように努力すべきだと思います。それは中米対立を緩和する政策になると考えます。
まずはじめに、コメ問題を筆頭とする農政の失敗と、それによる食品自給率低下の最大原因は東大農学部にあるということを指摘しておきたい。鈴木農水相は東大法学部出身だそうですが、農学を専門に学んだはずの農学部出身者がなんで農水相にならない(なれない?)のでしょうか。誰も言わないのでここに書いておきます。
鈴木の失言の第一は、石破前首相のコメ5キロが4千円は高すぎるという発言を批判したことです。また、コメ価格を市場は任せるべきだという文脈で小泉前農相が行った備蓄米の随意契約での放出を批判する発言をしていますが、日本はいつからコメの自由市場を認めたのでしょうか。彼は、集荷価格が高いことから現在の価格を認めていますが、集荷価格も自由市場で決まるという事実を無視しています。コメが足りているというのであれば、1年で2倍になることはありません。農水省はコメが足りていると言っていますが、集荷業者は足りないと思っているが故に、高くても買いあさっているのです。
また、前任者批判、特に、前首相批判は自民党という世間ではあり得ないことです。今回は、高市内閣が右旋回して石破内閣を全否定することで成立したからであり、その忠実な下僕である鈴木も、小泉農政を全否定することで昔の農政に戻しました。そのため、コメが不足しているとは絶対に言えないのです。
それは、単なる政策の違いではなく、自民党村と公務員村の掟です。掟とは世間の締め付けであり、「世間」とは互酬性と長幼の序の世界です。石破や小泉は現在の自民党村の異端児ですのですので全否定しないといけないのです。小泉はそれに気がついて自説を封印しましたが、村の論理に負けました。私は、自民党は権力維持でまとまるのを止め、夫婦別姓の是非で2つの党に分かれる方が自然だと思います。もっとも、少数与党では、まとまっていても権力の維持は無理だと思うのですが。
さらに、鈴木は小泉の前の元江藤農水相の「コメは足りている」という発言を否定しないように振る舞っていますが、これは先輩を全否定してはいけないという公務員村のルールである「世間」の長幼の序に従っただけです。このような、これまでの世間志向が日本の全面改革を妨げているので、新しい「世間」像の確立が必要というのが私の思想的立場です。なぜなら、改革が必要ということは、どこかの段階で先輩の誰かが間違ったからであり、その先輩を否定できないのであれば改革は不可能です。