本日は、外地(日本の植民地、権益地)の鉄道に関する問題を扱います。
鉄道の開業年から、開業の大きな要因を探るとともに、外地にどうしてこんなに早期に鉄道が開業したのか、という問題意識を持たせる出題となります。
問題自体は、開業年から原因を推測し、記述するだけですが、近代における鉄道のもたらす影響は、現代のインフラ開発に通ずる部分がありますので、思索のきっかけにしてください。
問題
次の表は外地(日本の本国以外の統治地域)の鉄道営業の開始時期を示しています。日本がこの2つの外地に鉄道を開業することになった歴史的な背景を、戦争名や条約名をあげて説明しなさい。
1896年 |
台湾で日本の国営鉄道が開業。 |
1906年 |
中国東北部に民間と政府の共同出資で設立された鉄道が開業。 |
解説
台湾はかつての日本の植民地で、満州と呼ばれていた中国東北部は植民地ではありませんでしたが、日本がかつて権益を有している土地でした。
台湾について
台湾は、澎湖諸島とともに、日清戦争の講和条約である下関条約によって、1895年に清国から割譲された(領土を譲り受けること)ものです。
台湾には、清国領であった時代に、鉄道の建設が始まり、日本統治時代にもその建設が続けられました。
中国東北部について
中国東北部(満州)の鉄道については、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約によって、1905年にロシアが運行していた東清鉄道の南部(旅順~長春)と炭鉱なども含むその付属地を譲り受け、その路線を運行し付属地を開発するために、南満州鉄道という半官半民の鉄道会社を設立しました。
解答例
台湾は、日清戦争後、下関条約によって清国領から日本領になり、台湾の植民地経営のために鉄道が建設された。中国東北部については、日露戦争後、ポーツマス条約により、中国東北部を通っていた鉄道をロシアから譲り受け、その鉄道を運営する鉄道会社が設立された。
補足
中学受験にはやや過ぎた知識を省いた形で答案を作成しました。この問題の出題の着眼点は、近代のころ、植民地などの経営において、資源や商品を内陸と港湾の間で大量に輸送できる鉄道の建設が有効であったことから、植民地経営の第一歩として、早期に鉄道整備が始まるという点かと思われます。
じつは、植民地主義が去った現代でも、その理は変わらず、大国が、途上国の支援において鉄道や道路、空港などのインフラをつくるということに、建設費に限らない利益を見出す現実があります。入試ののち、こうしたインフラ建築にどのような利益が見いだせるのか、ケースごとに考えてみてください。