本日は、戦時中の災害について報道がなされなかった理由を尋ねる問題を扱います。
こちらも、戦時下の日本軍首脳部にいるなら、どのような報道をどのような理由で隠したいと考えるのかという、想像力が問われる問題になります。思い付きで書くのは危ういですので、考えをメモに起こして客観視しながら検討してみてください。
問題
1944年の12月に紀伊半島沖で巨大地震が発生し、津波と地震による大きな被害が出ました。この被害は、日本の軍の指示でほとんど報道されませんでした。それはなぜでしょうか。そのころの日本の状況を考えて、簡単に説明しなさい。
解説
1944年12月というタイミングは、ちょうど太平洋戦争の頃で、日本本土でも米軍による空襲が本格化した時期でした。この空襲は、戦争に必要な物資、工場の破壊や、日本国民の戦争への意欲をそぐために、全国の主要都市や軍事基地を対象に、戦争終結まで繰り返し行われました。
ですので、輸送網や工場などの被害状況を米軍に知られたくない日本軍としては、できるだけ報道されないようにしたのだと考えられます。
また、空襲が相次ぐ中、このような被害が大きく報道されることで、国民が動揺し、戦争を継続する意欲が損なわれることも、軍としては避けたいところでした。
解答例
・戦時中なので、被害地域の状況を敵国に把握されることを避けたかったため。
・被害状況が詳しく伝わることで、国民が戦争を継続する意欲を失うと考えたから。