これは
勝石
写真撮るよねー!
この勝石があるのは
島根県一宮
物部神社
なんかもう
名称からして凄さ満開
一宮の風格
じゃーんって(語彙
そして
この風格とは真逆の場所へ
こんにちは。
午前中のスケジュールがビッシリで
午前中にブログをあげられないが続いている(言い訳
ブランディング戦略家の鈴鹿久美子です。
島根県で行ったもうひとつの場所は
石見銀山(いわみぎんざん)
いつものように
欲張りスケジュールで行ったので
12月の裏日本の山中を
早朝から歩く
ことになったのですが
薄手のコートしか持っていなかったので
ひとりガマン大会
さっぶ~~~!
でも行ってみたい
ガイドさんをお願いして
3時間くらいかけて
山中に残っている暮らしの痕跡をたどりながら
銀を掘削していた坑道を歩いてきました
詳しいし何でもよく知っている
ガイドさんだから当たり前
でもすごい知識なのよ
銀を掘り出す
っていうと
大きな機械で
ゴンゴン掘削するイメージだったのだけど
当時は
あるわけない
そんな機械
直径90㎝程度の穴を掘って
はいつくばって進んだんだって
狭いところ苦手な私には
これはムリ
MRIも気が狂いそうになるし
坑道のことを「間歩(まぶ)」
と言うのだそうですが
これが大きな「龍源寺間歩」
入口の上にはお社がおかれ
その下には16本の枕木がしかれ
「16羅漢」としていたそう
命がけ
高収入となるこの仕事には
11歳から就くことができたそうですが
平均寿命は30歳だったって
灯りはサザエの殻に入れた植物油の灯だけ
コウモリが冬眠していました
廃坑で思い出すのは
軍艦島
今年の夏に行ったとき
運が良くて上陸でき
暮らしの片りんを見ることができました
ここも同じく
働く人には
好待遇で
当時高級品だった
白物家電は
飛ぶように売れ
どの家にも
最先端のものがあったそう
それは
時代こそ違え
この銀山も同じく好待遇で
江戸時代初期
着物は麻が通常だったものが
綿や絹の豪華なものが
これもまた
飛ぶように売れ
たと
記録が残っているそうです
そして
寺社仏閣はこの狭いエリアに139軒あったと
不安だったんだろうな
軒先に置かれた水がめと猫
日本はとても貧しい国だったから
鉱物は重要な外貨を得る資源だったし
少しでも良い暮らしを求める庶民には
魅力的な仕事だった
命を縮めてまで働いたのは
豊かな暮らしを求めて
みんな
少しでも高い給料がほしくて
炭坑でも
銀山でも
チャンスがあれば入った
奥さんは
毎朝祈る思いで夫を送り出したんだろうな
30歳になっても生きていた人には
特別なお祝いがあったそうです
なんだか切ない
今も現実は似たようなものかも
なんとかならないのかしらねぇ!
この国に「夢」があれば
向かう先もハッキリして
前に進む力になるんじゃないか
と
考えたり
しました
ってわけで
本日は
以上!













