だから「罰(ばち)」なんてあたりません!
って
私が断言したら
うんうん頷きながら
もう一回大泣きして
「謝ってきます」って
元気に出ていきました
よしよし
私が
学生の頃
尊敬する教授から言われた言葉
クミコ、
苦しい時こそ
人は「自分は独りで頑張ってる」って
思うものなんだ
さっきまで隣にいた
友だちもいなくなり
親もきょうだいも
ちりぢりになって
暗闇の中
手探りで歩いて
つまづいて
転んで
あちこち血だらけで
神も仏もあるもんか、ってね
でも
もう本当にダメかもしれない
って思った時に気がつくんだよ
あー、
隣に誰もいないんじゃなかった
神さまは
私を背負って歩いていてくれたんだ
私は
その背中で
神を呪い
唾を吐いていたんだ
って
気がつくんだよ
私、号泣
当時私は18歳でした
スポンジのような心は
この言葉を吸いとり
今も私に栄養を与え続けていてくれます
本物の言葉って
時を経ても色あせません
私は
見た目と違って
そそっかしくて
真夏に
運転しなきゃならない日に
ド近眼なのに
度入りのサングラス忘れて
同乗者のサングラスを借りて
自分の眼鏡にゴムで縛りつけて
使ったり
地方の大きな講演会で
張り切って
前泊用に持参したパックが
よく見なかったものだから
おちゃらけパックで
効果があったんだかなかったんだか
わからなかったり
それでも
許されて生きてる
その教授がいっていた
もう一つの言葉
クミコ、
人間の許すってのは
「今回は許してあげる」
ってやつだけど
神さまの許すは
砂に書いた文字のようなものだ
一度波がきてさらっていったら
跡形もなく
消え去るものなんだよ
だから
お前は常に許されている
安心しなさい
今日
大泣きする人の背中をポンポンしながら
私も
先生にこうしてもらったなぁ
と
思い出していました








