今日
こ相談事がありますって




お話しきいていたら
 
 
 





 
自分が悪かった
あんなに良くしてくれた人を悲しませて
罰(ばち)が当たる
 
 
 


 
って
おーおー泣きだしてしまった方がいました
 
 



 
罰(ばち)が当たる
って
何度も言ってた




 
 
でも
 
 
神さまって
そんなケチなことしない
って
思うのよね
会ったことないけど
 
 




 
 
だって



自分の子どもが
転んで怪我して



あーーん



って泣きながら
「おかあさん」
「おとうさん」
って駆け寄ってきたときに
 
 


 
ーー転んでけがしたので罰を与えます
 
 


 
って言わないでしょ
 
痛いけど
 


傷口洗って
絆創膏貼って
涙ふいてあげながら
 
 


 
ーーよしよし、痛かったねぇ
 
 
ーーでも危ないことはやめようね
 
 

 
って
イイ子イイ子しながら
言う
 
 
 
 
 

 

 

だから「罰(ばち)」なんてあたりません!

 

って

私が断言したら

 

 

 

 

うんうん頷きながら

もう一回大泣きして

 

 

 




 

「謝ってきます」って

元気に出ていきました

よしよし

 

 

 



 

 

 

 

私が

学生の頃

尊敬する教授から言われた言葉

 

 

 

 

 

クミコ、

苦しい時こそ

人は「自分は独りで頑張ってる」って

思うものなんだ

 

 

 

さっきまで隣にいた

友だちもいなくなり

 

 

 

親もきょうだいも

ちりぢりになって

 

 

暗闇の中

手探りで歩いて

つまづいて

転んで

あちこち血だらけで

 

 

神も仏もあるもんか、ってね

 

でも

もう本当にダメかもしれない

って思った時に気がつくんだよ

 

 



 

あー、

隣に誰もいないんじゃなかった

 

神さまは

私を背負って歩いていてくれたんだ

 

 

 

 

 

私は

その背中で

神を呪い

唾を吐いていたんだ

って

気がつくんだよ

 

 

 


 

 

 

私、号泣

 

 

 

 

 

 

当時私は18歳でした

スポンジのような心は

この言葉を吸いとり

今も私に栄養を与え続けていてくれます

 

 

 

 

 

本物の言葉って

時を経ても色あせません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は

見た目と違って

そそっかしくて

 

 

 

 

 

真夏に

運転しなきゃならない日に

ド近眼なのに

度入りのサングラス忘れて

 

 

同乗者のサングラスを借りて

自分の眼鏡にゴムで縛りつけて

 

使ったり

 

 

 

 

 





 

地方の大きな講演会で

張り切って

前泊用に持参したパックが

 

 

 

よく見なかったものだから

おちゃらけパックで

 

 

効果があったんだかなかったんだか

わからなかったり

やらないよりましと思って使ったけど
 
 
 
 
 

 

それでも

許されて生きてる

 

 

 

 

その教授がいっていた

もう一つの言葉

 

 

 

 

 

クミコ、

人間の許すってのは

「今回は許してあげる」

ってやつだけど

 

 



神さまの許すは

砂に書いた文字のようなものだ

 

 


 

一度波がきてさらっていったら

跡形もなく

消え去るものなんだよ

 

 



だから

お前は常に許されている

安心しなさい

 

 

 


 

 

 

 

今日

大泣きする人の背中をポンポンしながら




私も

先生にこうしてもらったなぁ

思い出していました

 

 
 
今のあなたは
冬の桜の木のようなもの
 



薄黒くて
細くて硬くて
冷たい枝も
 
 
 
 
その黒々とした樹皮の下では
つぼみの準備を
着々と整えていて
 
 

 
あなたが忘れていても
春は来る

 

 

 
 
 
泣いてもいいよ
 
 
 
でも
心配しなくてもいいんだよ
 
 
 
悪いことは何も起こらない
 
 
 
 
 
 
 
先生
 
天国で元気にしてるかなぁ
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は
ちょっと
こんな気分で
 
 
 



 
本日は
以上!