こんにちは。

 

ブランディング戦略家の鈴鹿久美子です。

 

 

昨日のブログの中に

「日本の教育にかけている3つの重大なっこと」

 

そのうちの二つを書きました。

 

 

ひとつめは

「お金の教育」

 

 

お金について

あーだこーだいうのはハシタナイ。

黙々と

コツコツと

爪に火を点すように貯金をして

老後に備えるのが正しい国民の姿。

お金が欲しいとか言うのは卑しい。

 

 

これが

インプリント的教育のなせる業なのか

儒教思想の残像なのか

定かではありませんが、

 

私たちは、義務教育で「お金」について学びません。

 

 

 

そして二つ目が

卵子の老化という事実。

 

 

これも昨日書きましたので

熱が入るとと暑苦しいので

控えますが、

 

 

 

卵子が老化するという事実は義務教育で学びません。

ので、

 

 

社会に出てキャリア形成で頑張って

そろそろ結婚して

子ども産もうかと思った30代半ばで

不妊治療に時間とお金を費やすことになる。

 

こんなことだったらもっと早くに産んどけばよかった

 

この切ない話しは

私の友人たちからも何度きいたか分かりません。

熱くなってきたのでこれもこの辺で切り上げますが

 

 

講演会やセミナーでは必ず言いますが

 

 

子どもが欲しいと思うなら

「結婚」という概念を超えたところで

「産む」を選ぶことができる文化が必要です。

 

 

国の施策を待つのではなく

私たちがそれを喜んで受け入れるという文化を先に作ってしまうことが

先決かも

昨日と同じこと書いてる

 

 

 

そして3つ目のこと

やっとだ

 

それが「死」についての教育

です。

 


 

これも

義務教育で完全に欠落しています。

 

 

たしかに

「死」を教えるのは

「生」を教えるよりも難しい。

 

 

だって

死んだことある人って

たぶん

いませんから。

 

 

 

教育現場では

何かを教えるには

教科書なりの指針を持たなければなりません。

 

 

それはテーマが「死」でも同じです。

 

では、その指針、マニュアルは誰が作るの?というと

 

義務教育に関しては

「国」がその責任者として関わることになります。

 

 

でも

「国」が作ろうとすると

政教分離」といって

政治と宗教は切り離されて考えられ運営されてなければならない

ということになって

 

 

国は、

死に関する教育を目的とした教科書はつくれなんじゃない?

となります。

 

 

宗教によっても「死」の表現は

ちがいますからね。

 

 

で、

教育現場で

「死」を学ぶことは

ますます

タブーとされてくるのです。

 

 

 

でも

 

教育マニュアルとか作れないから

政教分離だから

 

 

やっぱり「死」は教えられないし

学べない

 

 

とは言っていられなくなる日が

 

着々と

近づいています。

 

 

 

 

理由は

 

 

私たちは

そう遠くない未来

 

 

あと15年程たつと

今のままでは

 



病院で死ねなくなります。




 

東京は

日本で一番の医療過疎地



です。


Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

 

 

入院しようとしても

人口に比して

ベッド数が圧倒的に少ないのです。

 

 

ひえ~~!ですよね

 

 

 

 

そして

昨日書いたように

 

 

人口減少=働く人数の減少

=社会保障を支える人数の減少

年金の削減、

医療費の削減、

 

 

この現実が実体化してきます。

 

 

 

病院で死ねなくなると

どこで死ぬかというと

自宅で死ぬことになる

わけです。

 

 

 

それを

国は

「合法的に自宅で死ねるように」しなければ

なりません。

 

 

それで

私は

 

安楽死と尊厳死

国会の場で

 

そう遠くない未来に

法制化を見据えつつ

議論され始めるのだろうと思っています。

 

 

 

日本は

 

自分の命日は自分で決めなければならなくなります。

 

 

 

これは

「自殺」とは明確に区別されます。

 

 

 

これまでの

 

 

「病院で死ぬ」

「終末医療の場で死ぬ」

といった

「常識」を維持できなくなったとき

 

 


どこで

どうやって死ぬのか

 

これを自分で考えて決めなけらばならなくなる

 

ということです。

 

 


 

「死」について

考えることは

今を生きる現実と

向き合うこと。

 

 

 

 

時代の空気から

こう思うことが多くなりました。

 

 

 

ちょっと重くなりましたが

見て観ぬふりをしていていも

いつかは

誰もが向き合わねばならないこと。

 

 

ここから先の

具体的な内容については

 

国会の中での様々な法案にからめて

今後もこの場でお伝えしてゆこうと思います

 

 

すみません。

今日は面白くなかった・・・

 

 

けど

 

今日はここまでww