こんにちは。

 

ブランディング戦略家の鈴鹿久美子です。

 

 

今日は3月11日。

東日本大震災から8年が経ちました。

 

 

あの日、

私は、政策秘書の仕事で

大阪に行っていました。

 

 

品川駅から

早朝に新幹線に乗り

新大阪について

大阪府内の府議会議員や市議会議員の

事務所を訪問して

挨拶をして回ることになっていました。

 

 

一件目の後、

市議会議員とお昼でも食べましょうと

近くの定食屋に行って

生姜焼き定食を頼みました。

 

「大阪って、定食にうどんがついてくるの?」と

大笑いしながら

どんぶりご飯とどんぶりのうどんを

何とか食べ切ったことをよく覚えています。

 

そして13時過ぎから

2軒目の事務所に着いた時、

 

ガラスの扉を開けて薄暗い事務所に入ると

事務所の隅に

人が5~6人固まって何かを見ています。

 

「こんにちは~~!」

「どうも、鈴鹿です~~!」

 

大きな声で挨拶をしても

誰も振り返りません。

 

 

なんだろうと思って

近づくと

その人たちは皆テレビを見ていたのでした。

 

入り口から数歩歩きながら

私が

「なんの映画見ているんですか?」

と言いながら近づいていきました。

 

 

荒れ狂った濁流にのみ込まれる車や

家ごと流される人々の映像

 

 

遠くから画面を見た私には

それは

映画にしか見えなかったのです。

 

 

人の肩越しに

覗き込んだ画面には

「東北で震度7」と

大きく書かれていました。

 

「鈴鹿さん、あんたの家族、東京?

東京もけっこう揺れたらしいよ」

 

市議さんに言われて

瞬間で頭が真っ白になりました。

 

家には

年をとった母がひとりでいるはず。

 

子ども達は今日はどこにいるのだろう。

 

職場なんだろうか

大学に行ってる娘はどうしているだろう

 

 

一瞬で

最悪の事態が頭をよぎり

 

先ずは年老いた母。

 

あんな古い家でどうしているだろう

屋根がつぶれたりしていないだろうか

 

 

なんど携帯を鳴らしても

繋がらない。

 

焦ってかけても

繋がらない。

 

長男は?

娘は?

次男は?

 

電話は一向につながらない。

 

 

 

 

1時間ほど経ったとき

母と電話がつながったときには

腰が抜けそうでした。

 

携帯を握りしめ

テーブルの下で怯えて泣いていた母に

 

「息子をそちらに向かわせるから

大きなテーブルの下から動かないで

大丈夫だから

安心して」

と言い続けていました。

 

 

 

この時、

テレビ画面の向こうに

家族を見ていた人たちは

どんな思いだっただろうと思うと

 

今になっても

恐さで体が震えます。

 

「東日本大震災から8年、熊本地震から3年 が経ちましたが

復興にはまだ皆様からの応援が必要です。」

 

 

一昨日から

この言葉を思い出しながら

東北に行ってきました。

 

 

石垣が大きく崩れた

熊本城を見たときのショックが

蘇りました。

 

被災した形のまま

取り残された山、

たぶんもう誰も住んでいない家、

高速道路に長く続く

放射能で汚染土壌を廃棄場へと移送するトラックの列。

 

 

 

復興にはまだまだ私たちの応援が必要です。