父です。
父は2歳の時に離婚し10代で会ったのを最後に30年以上見かけてないです。
父は19歳の時に7つ年上の母と結婚し20歳の時に私が産まれました。
父は旧姓が福原ですが母の佐野家に入りました。
その後2つずつ違いで弟と妹が産まれました。
父は躾に非常に厳しく幼稚園からよく引っ叩かれていました。
朝、晩は両親に敬礼し挨拶させられていたのを覚えています。
父には敬語でしか接したことがなかったです。
とにかく厳しくて楽しい思い出が一つもなく大嫌いな存在でした。
そのせいか小学、中学は赤面症で人と接するのが苦手な子供でした。
私たちと別居し家に現れる頻度が減り離婚が決まった時は心から喜んだのを覚えています。
父は家を正式に出て行く日の夜、ベッドで寝ている私にはなしかけました。
パパはいなくなるけどお前がこの家の長男だから、ママと兄弟の面倒はしっかりお前がみろよ。頼んだぞ。
と言われたのを未だに覚えています。
その話を母にすると
小2の子に何無責任なこと言ってるのよね!
といつも怒っています。
離婚した2年後、私が小4の時に祖母が62歳で亡くなりました。
母は29歳で父親を、36歳で母親を亡くし
、両親ともに養子だったため親族に妹意外頼るところが無かったようです。
さらに数年後、父が自分の親から継いだ会社を倒産させました。
その会社の借入の保証人が母だった為に母は大きな借金を抱えました。
養育費は無く、さらに借金の返済までしながら3人の子供を育てるという人生となりました。
母にはとにかくうちにはお金が無い。
だからみんなで我慢してくれ。
でも、お金が無くても幸せだ。
そう小さい時から言われて育ちました。
中学生から近所の蕎麦屋さんでバイトさせてもらい小遣いは自分で稼いでいました。
高校はデザイン科に行きたかったけど落ちて工業高校の機械科でした。
卒業後にデザインの専門学校に行きたかったけどそんな事は言えず、製版会社に就職しました。
それからタウカンで仕事し今は自分でデザインの仕事が出来ています。
結果オーライです。
今考えると、父が19歳で結婚を決意し子供をつくることを実行してくれたから今の自分があると思え、嫌いでしたが今はむしろ感謝しています。
父が母に苦労をかけた分、今は家族に同じ過ちを繰り返してはいけないと言う教訓を与えられたと思えています。
反面教師かと思います。
自分は子育てをするのが遅くなってしまいましたが、同じことを繰り返さない為の準備期間かと思っています。
曽祖母、祖父母、両親、自分と全員が離婚やらで色々ありましたが、それがあって今があるので、それらを真摯に受け止めて自分達の人生を大切に生きなければと感じています。
これからも自分の直感を信じて生きていこうと思います。


















