私の祖母です。
私の苗字は佐野で母も佐野(現在再婚して三ツ木)で、祖母も曽祖母も佐野でした。
代々母親の苗字を名乗ってたことになります。
曽祖母の地元は山梨県身延でしたが祖母は静岡県の修善寺の北で産まれ、すぐに乳母に預けられそのまま松木家の養女となりました。
祖母は自分が養女だとは大きくなるまで知らされず育ったのでした。
さらに実の父親とは一生会えなかったそうです。
祖母は成人する頃に縁談の話しがありましたがそれを断り単身東京に出て行ったそうです。
浅草に降り立った祖母は役者の夫婦と出会い丁稚奉公としてお世話になったそうです。
そこで唄や舞踊や様々な芸事を学んだそうです。
その後エノケンさんの弟子で鞄持ちをしていた祖父と出会い結婚し、母と叔母が産まれましたが、母が幼少期に離婚しました。
祖母が一座で動いていて役者業が忙しかった為、祖父の母が一緒に暮らし母と叔母は育てられたそうです。
祖母は佐野として産まれ→松木として育ち→祖父と結婚し高塚になり→離婚し佐野を名乗ったのでした。
今の佐野は祖母から始まった佐野のような感じです。
その後、舞台役者かテレビに行くか迷った時に木綿屋(生地屋)をすすめられ、生地屋を目白に出店したのでした。
60〜70年ほど前は既製品が少なく生地が売れたそうです。
私が幼少期はまだ反物を沢山並べて売っていました。
働き者の祖母はとにかく働きずくし、母と叔母に家を与えてくれました。
それが私が育った実家です。
祖母の下には兄弟が沢山いて、祖母は上京してきた兄弟を世話していたそうです。
綺麗でセンスも良くモテて、仕事もバリバリでギャンブルも好きで、とにかく人生を突っ走った祖母は60歳前半で亡くなりました。
波瀾万丈な祖母でしたが、祖母のおかげで今の私たちがあります。
孫は6人、ひ孫は9人と祖母が繋いでくれた命は続いています。
何が言いたいかと言うと、とにかく感謝が大切だと言いたいです。
普通に生きられるのが当たり前ではないです。
親がいるのも、住む家があるのも、飲み食いできるのも、本当は当たり前じゃないんだと。
私たち孫世代、ひ孫たちにも知ってもらえたらと思います。
※祖母は亀戸の佐野味噌の先代と従兄弟でした。
@sanomiso
※祖父は私が2歳くらいで亡くなりましたが、母があまり仲良くしてなくて写真もありません🥲
※祖父も養子だったので、養子と養女の結婚でした。
※私のおちゃらけた部分は祖父が喜劇をやってたからで、服を生業にしているのは祖母の影響かもしれません。



























