伸二です。
今日は瑞穂町立瑞穂第三小学校での学校コンサートでした。
今日は瑞穂町立瑞穂第三小学校での学校コンサートでした。
今日は四年生から六年生までの高学年のみんなとの楽しい時間でした。
みんな素直でとても元気!
学校によっては小学校の高学年だと恥ずかしさが先にたってしまい、なかなか質問を投げかけても返事が返って来なかったりすることもあるのですが、今日は我先にと声を出したり、手を上げたりととても楽しい時間を一緒に作ることが出来ました。
そして会の最後には生徒のみんなから、お礼の歌が!
しかも音楽の先生の作詞作曲によるオリジナルソング。
とっても素敵な曲で、しかもみんなめちゃめちゃ歌が上手い!
なによりその声の響き、音楽の響きは神々しさを覚えるくらい澄み渡っていました。
もう、めちゃくちゃ感動してしまいました。
さて、彼らの歌に僕が感動したことを前提に聴いて頂きたいのですが。
僕の幼い頃の記憶を振り返るに、この頃の子供たちはきっと教えられるとおりに、悪い言い方をすればただ歌っているだけなのだと思います。小さい頃の僕がそうであったように。
例えば歌を歌う時の心構えとしてよく口にされる「気持ちを込めて」とか「歌詞の意味を考えて」なんてことを考えたり実際に行っている子供はいたとしてもほんの少しなのではないでしょうか。
けれど、それでも彼らの歌はこんなにも人の心をうつ。
僕はそこに音楽の懐の深さと本質を見るような、そんな気持ちになることが度々あります。
音楽は伝達手段です。
けれど時にそれは伝え手と受け取り手の意図や繋がりとは関係なく、一つの楽曲を通してそれぞれがそれぞれの環境や来し方に裏付けられた、それぞれの個人的な想いや感動を心の中に喚起することがある。
情報の伝達が目的であったなら、その齟齬は問題ですが、音楽によるコミュニケーションの本質はそうではないはずです。
僕にはこの音楽の曖昧さこそがつまりは豊かさと呼ばれるもののような気がしてならないのです。
そしてこの音楽が持つ豊さは、音楽がプレーンな状態であればある程広がりをみせる気がします。
そういう意味で子供の歌声というのはなんとも無垢でプレーンです。
意図されたイメージを押し付けるあまり、音楽が単なる刺激物になっていることも多い昨今ですが、音楽が人にとって必要不可欠なものだと思うからこそ、僕はやはり毎日食べても飽きないご飯の様なそんなプレーンな音楽を作り、届けていきたいなと思っています。