シロナガスクジラのブログ

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恋愛、映画、音楽、書籍などの話題を取り上げます。

意外だったのは、妊娠活動をする夫婦のセックス回数が少ないことだ。回数が少ないから妊娠しない。それで妊活するという流れである。さらにそれが原因で、セックスレスになるケースもある。以下に引用するのは、妊活によって妻への性欲が減退した日本人男性の例である。

 

妻が妊娠活動を初めてから、セックスの枠組みが「子作りのセックス」に変わった。つまり、セックスをしたい時にするのではなく、排卵日の時にしかしなくなった。子どもを作るという目的が妻の方で強かったため、愛情を確かめるセックス、解放やリフレッシュするセックスから「やらないといけない」セックスに変化したため、プレッシャーが強くなり、気分が沈んだ。(『したいけど、めんどくさい』(パッハー・アリス著 晃洋書房2022年)

 

その後、妻は妊娠したが、この男性は妻とのセックスが嫌になり、浮気するようになっている。

 

別の男性も、妻の子供を望む気持ちが強かったため、セックスにプレッシャーを感じ、かえって妻とできなくなり、結局は離婚している。その後は再婚して、1児の父親となっている。

 

子供が欲しい妻が、排卵日にだけセックスを求めてくる。求めると言っても、子作りに真剣な妻のこの日に絶対という思いは、ほとんど強迫に近い。

 

日本では女性が社会で活躍しづらいために、家庭だけは自分の思い通りに支配しようとする女の人が多い気がする。どうか夫をコントロールし過ぎないでほしい。男が主体性も能動性も失ってしまったら、もはやオスではない。それこそ妻にだけ勃起しなくなる。妻がベッドでだけ受身になり、夫に主体性を求めても、それは無理である。

図書館にセックスレス関係の本が8冊あったので、すべて借りて読んでみた。とにかく気が滅入った。一方で、いろいろ勉強になったし、性生活が復活したカップルの話には感動すら覚えた。

 

セックスレスと言っても、夫婦ともにしたくないのなら問題はない。深刻なのは、片方がしたいのに、もう一方がしたくない場合だ。

 

それも結局は愛情の問題だと思う。パートナーが悩み苦しんでいるのに、対処しようとしないのなら、愛が欠如しているとしか言いようがない。妻の悩みに向き合おうとしない夫ならば別れた方がいい。

 

しかし多くの妻は離婚に踏み切らない。愛がなくなれば別れるのが自然だと思うのだが、子供がかわいそう等、さまざまな理由で離婚には至らない。

 

もしも片親であることが子供に悪い影響を与えるのだとしたら、仲の良くない両親も同じくらい子供に悪影響があるだろう。『不倫の心理学』にはこう書かれている。

 

「一緒に暮らしたくないと思っている両親と暮らすよりも離婚する方が子供へのダメージが大きいと信じられているが、実際は逆である。(中略)幸せな親は不幸な親よりも良い親だ。幸せな人はより良い環境を作る。離婚は一時的に不安定な時期を作り出すが、不幸な両親のもとで不幸な時間を過ごすよりも、遅かれ早かれ平和な結末を迎える」(『不倫の心理学』アンジェラ・アオラ著 安達七佳訳 新潮社2024年)

黒川伊保子氏の著書を読んだ人は、同じような印象を持ったかもしれないが、トリセツシリーズでは性生活について触れられず、まるで夫婦の間には、子作り以外のセックスが存在しないかのような感じがする。

 

よく読めばその理由はわかる。著者によると、脳の生殖戦略上、同じパートナーとの性行為は長続きしないからだ。

 

女性脳の生殖戦略は、けっこう残酷だ。(中略)基本的には、オスを警戒し、排除しようとする本能がある。そうして、遺伝子的に厳選した相手にだけ、その警戒バリアを解き、発情する。これが恋の正体。(中略)やがて、子どもが自分の足で歩くようになると、脳は、「次の生殖相手」を探す気満々になる。よりよい遺伝子を求めて、脳はあくなき人生の旅をしている。(中略)最初の結婚を貫けないことも、婚外の恋愛をすることも、脳の機能性から言えば、いたしかたない。「生涯、一人の伴侶と添い遂げる」なんて、脳科学上、かなり無理があるのだもの。(『不機嫌のトリセツ』黒川伊保子・河出書房新社2021年)

 

そうだとしたら夫婦がセックスレスになったとしても不思議ではない。一定期間を過ぎると、男女共に違う相手を求めがちなのだから。著者は、その対策は専門外なので他をあたってね、と暗に言っているのだろう。

 

古い社会通念では、もともと男性は浮気性で、女性はそうでもないとされていた気がするが、大きな違いはないようだ。

 

ラジオの「テレフォン人生相談」を聞いても、「妻が浮気したのですが、不倫相手から慰謝料をとれないでしょうか?」という夫からの相談が少なくない。ある調査結果でも、女性の浮気は明らかに増えているそうだ。

『妻のトリセツ』(黒川伊保子・講談社2018年)に書かれているように、日常生活においても、男性脳・女性脳の違いがトラブルの原因になる。夫が皿洗いを手伝っても、皿の裏の汚れに気づかない。部屋を片付けても、妻の目からは、まったく片付いて見えない等々、例を挙げたら切りがない。レストランの座る位置に関する指摘も興味深い。

 

「レストランで、壁際の二人席に座るときは、絶対に女性を壁際に座らせなければならない。男性が壁際に座るカップルはうまく行かない」。理由は、壁を背にして座ると、店全体を眺めることになるからだ。男性の目線は、店全体を泳ぎ、扉を開けて入ってきた女性や、テーブル間を動くウェイトレスに、けっこうしっかりと照準を合わせてしまう。これは、「狩りをしながら進化してきた男性脳」の自然な所作なのだが、ロマンティックモードの女性脳には、「自分に集中してくれない。気のない男」に見えてしまうのである。(『不機嫌のトリセツ』黒川伊保子・河出書房新社2021年)

 

私は企業で働いていた経験から、女性を上座(奥の席)に座らせる習慣は身についているが、確かに自分が空間を見渡せる席に着いていると、扉から入ってきた人につい目が行く。ましてそれが綺麗な女性だったら注視しかねない。デート相手や妻が不機嫌になることは十分にあり得る。

 

屋外で風に揺れるスカートや、小走りする女性の揺れる胸に男性の視線が行くのも、そうした意味で当然だ。必ずしもエッチだからではない。動くものに反射的に目が行くのである。もちろん、じっと見続けたら、いやらしい人で間違いない。

男女の脳の違いは、問題解決型か共感型かだけではない。大昔に狩りをしたり、女性や子どもを危険から守ったりしていた男性は、遠くや周囲の動くものに目が行きやすく、出産と子育てをする女性は、近くのものをよく見る傾向が強い。

 

多くの男性脳が「遠く、動くもの」派、多くの女性が「近く、綿密」派なのである。男女は、生殖をミッションとしたペアなので、大切な命を守り抜くためには、ほんの少しの隙も許されない。だから、あらかじめ男女の脳は「とっさに真逆の態勢を取って、互いに守り合う」ように仕組まれているのに違いない。(『夫婦のトリセツ』黒川伊保子・講談社2022年)

 

私は以前タクシー運転手の仕事をしていた。お客さんが急に手を上げた場合、危険なので急ブレーキはかけず、安全を確認しつつ少し通り過ぎてから車を止めていた。たいてい男の人は周囲を見回して、停車したタクシーに気づいてくれるが、女の人は気づかない。

 

もしかすると男性は、ハザードやウインカー、車が左に寄ってきたこと、ブレーキ音などで総合的に判断しているのかもしれない。一方で女性は、同じ方角を向いたままで振り返りもしない。いつも「どうして?」と思ったものだ。十数人の女性が同じような状況になったが、私のタクシーに気づいたのは一人だけだった。

 

逆に男の私には、お客さんを見つけるために、遠くに目をやる傾向があった。すぐ目の前で手を上げている人に気づかず、悔しい思いをしたことが何度もある。通り過ぎてからハッとし、バックミラーで確認すると、後ろから来たタクシーに乗ろうとしている。そんな光景が今でも思い出せる。