京都とは、江戸っ子でさえない、東京の下北沢辺りの人間にとっては。
遠い文化であり、貴方はどこの出身とこたえるとき、世田谷砧村といっても、
みんなピンとはこない。
少なくとも、年寄りから、江戸のハズレが、四ッ谷だから。
内藤新宿より西の人間は、元来農民なのだろう。
浅草、深川などは、きっと生涯で、京都に言った数よりすくないだろうか。
いっても、異文化をかんじるし、それなりの風情をかんじるが、淡い夢がもてないというか恋するきがしない。
しかし、京都いくとそのエスプリに恋をしてしまう。
もちろん、京都といっても、ヒレラルキーは、根深い物があるでしょうし。
住んだら住みにくいんだろうと。
でも、上記のような京都の番組をみるだけでも、冬寒く夏暑い、京都の凛とした、ふんきには、刺激される。
生粋の京都人は、戦前から、戦前は「応仁の乱」の前から、京都に住んでいる家系ということになるという。100年でやっと老舗といえるか言えないかの京都。
100年なら江戸にもあるだろう。でも数百年続く店、伝統行事。
観光でない京都の暮らし、遠くの芝生はよくみえる。
何年か前にも、「京都を愉しむ」、というNHKの番組があったが、それもすっかり
感化された。
昨日見たのは、近藤正臣と桜木健一、柔道一直線の名コンビ。
半世紀以上の再会が京都を舞台に演ぜられていた。
柔道一直線のストリーとは、関係なんいんだが、その時代にその二人を番組で、みてから半世紀以上。実際の二人の関係がどうだったのかは、不明だが。
柔道一直線ときは、桜木健一と吉沢京子は、超アイドルだったが、その後は、近藤正臣の方が、俳優として日のあたるところにいたようにおもう。
ドラマの没交渉の二人が、近藤が病の桜木を訪ねるという設定。
この二人の俳優人生とドラマが重なって、良い味だしていた。
自分に当てはめ、没交渉の友人との再会を思う浮かべ重ねてみる。
京都の凛とした空気のなかで、クルマは、ルノー4,バイクはヴェスタだろうか。
ようく似合っている。
つましくカッコよく、いきられたらいいな。
僕の数少ない友人で、京都人がいる、やっぱり我慢図良く凛としている。
生き方䌂、美学もあるようにおもってしまう。
似非東京人のような軟弱ものとは一戦を画するところがある。
昨日の深夜ドラマ、なんか凛とした。
そして、京都の友達に(東京在住)に連絡したくなった。