貧困というと、直ぐにお金がないことをいうが、世の中には、考えていますが、

もちろん金銭は、貧困の一つだが、それが少なくともすべてではない。

お金などなくても、回りの人から助けられている人も沢山いる。

しかし、お金があっても人脈ない人は、寂しい。

本当の、貧困は、人との繋がり、人から頼られない人、それらの人は社会に頼ることができない人が多い。

それらの人は、社会や他人は何もしてくれない。せいぜい頼りは、肉親だというが、

そうだろうか。

難病という病人をずっとやっていると、肉親でさえ、厄介者扱いされることもある。

それなら、人や行政に頼った方がいいと、故郷を後にした難病患者がいるが、故郷では、素封家であったも、東京で自活している人も少なくない。

成人して親から養ってもらうことより、人や行政、そして自分で仕事をして自活することを目指した、その方は、何十年も親と疎遠になっても自活して、しぶとく生きている。

多くの、人や行政を頼りにできな人は、みっぱりで、また人を信じられない人がおおい。自分が人のために尽くせないから、人も頼りにしない。

愛情は肉親しか信じられないということでは寂しすぎる。肉親との絆は大切ではある、しかし、骨肉の争いだって肉親だからこそあったりもする。

でも、救いは、それだけが、頼りではないこと。

親がいない子であろうと社会は助けてくれる、人からも助けてもらえる社会であるべきだし、今もかろうじてそれがなりたっている。

そして、それが続くように、弱者は願うべきだし、強者も弱者もある面、共存していきていくべきだろう。

親だろうが、子だろうが兄弟だろうが、結局は社会と繋がれなければ、上手くいけない、肉親しか信じられないということは、貧しいし。夫婦も他人、子供成長すれば、人格は異なる。親子もそう。結局人外同士の関係、さらに、行政でさえ、最後は人間関係なんだよなあ。お店とも会社とも、関係性の中に、救いがある。何もお金だけでなく、人との関係、会社との関係、肉親との関係。行政との関係みんな極論おなじなんだような。