負け組、勝ち組で、二つでいえば、難病を抱えてるだけで、負け組といえよう。
そして、難病であるがゆえ、一秒息災とはいかない。
多病は、難病の悪循環の故である、薬の副作用、老化が激しい。
したがって、老齢と共に、多病に悩まされて行く結果となるだろうか。
その結果は見えているので、平均年齢とか、平均余命とかは、縁遠いということになる。
+10年、は、老化は、進んでいることになるだろう。

更に、私のように、節制もせずいきていれば、仮に平均寿命近く、まで生きられる
力があったとしても、それを削っているのかもしれない。
もう還暦が、近いとすれば、あと10年だろうか、20年は、ないとみるべきだろうかと?

予想される。いや、もっと残された時間は、ないのかもしれない。
30歳のときは、寿命のことなど考えてみないが、70歳ぐらいまでと高をくくっても、

数十年単位の先の話、現実味がない。

夏休みの初日、終わりの日を考えない小学生と同じようなもの、二三日前に、

あせって、宿題を。
みても、70歳になれば、あと五年ということにもなりかねない。
人間とは往生際がわるものだ。

そして、人生の宿題もおわっていない。

幼いときから、年寄りが、そばにいて暮らしてきたので、何歳になっても、後十年が、後五年になり、最期には一年、一年と、希望余命をのして、それが希望となる。
当時の自分は、やはり、一年でも一ヶ月でも、一日でも元気でいてほしいと願った。
結局、九十は、近くは親戚も含めて生きている人が多い、長寿は遺伝するといいたいところだが。
どれも、そうばかりではない、長寿になると、昔から、子共が誰か先に逝く、認知でもあればいいが、
今子共持つ身としては、子が先に逝くことは、余りにも悲しいことである。

人生100年と嘯く、社会、実際100歳も、幻想ではなく、それぞれの街角に100歳で自立して歩いている方がいる。

90歳ぐらいでは、走っている方もいる。
いま、還暦にもならないのに、走れもしないし、長距離もあるけない。
身体はボロボロだ。
寿命と健康も格差社会、お金と同じだ。
あるところにあるお金、健康もあるところにはある。両方兼ね備えた人もいるだろう。
敬けんな、ある宗教の信者が、人間は平等、お金のがあっても、何かがたらない不幸だと。
貧乏でも、幸福な人もいるという。人生は、バランスがとられて、神様から命があたえられている、と。
まあ、そんな風にかんがえられたら、いいけど。
実際には、この世は、不平等ばかり、頭も、金も、健康もすべて、格差ばかりである。

それでも、希望があれば、生きられる。
希望が、なくなれば、どうするんだ、それでも生きるって、とても辛いことです。
だから、何も考えず、いきる。今最大の課題は断捨離だろう。
このまま死んだら、ゴミ屋敷、せめて、断捨離だ。
人生にときめきがなくなったら、おしまいしかし、もうあまりときめきがない、
起死回生は、私の目標。
なんでもいい、いきてて良かったとおもいたい。
しかし、何も大きなことも、小さなことでも、人の役に立ちたい。
記録よりも、記憶をのこしたい、子共にも、社会にも、いや小さなコミュティでもいい。

せめて、毎日が爽快に朝をむかえ、安らかに一日をおえる。
それだけでいいはずなのに、それすら叶わない。
となると、飲み歩くのも、趣味みたいなもんだ。

飲み歩き、クラブなんかいけないし、キャバクラでは、つまらない。
だとしたら、それなりに、相手をゲットして、LINEで、messengerで、
昼間なランチを誘う、夜なら、ディナー夜景の素敵なれすとらん、隠れ家のバーなどなど。

今明日も見えない、状態のなか、でも、自分で人生を経つなんて勇気はないし。
多分、残された家族のことも考える、ある意味では、私なんかいない方がいいのではと、考え出すと、
子共も、自立している。私に生産性がたかいわけでない。
みんな自立、してるなら、私が消えても、どうにも家計も大きくかわらない。
第三世代孫のこともかんがえれば、もう少しみとどけたい気持ちもあるが、それは自分の欲でしかないだろう。
そう考え出すと。自分の必要性は、先細りでもあります。

自分を直視せずに、自分を棚にあげて、いきていたい。
もう、気持ちは、老人である。生きる望みもないのだが、同じことのルーチン
先をどこかで、プツンと切れるより、余命の中で、しっかりと生きる。
やり残したことを、やり遂げる、その前に、断捨離、頭の中を整理して出来ること出来ないこと。
性差して、そして本もすてよう。山のようなビデオも、そして、書類も。
必要な価値のあるものは、どれほどかるのでしょうか。
私にとって宝ものであろうが、客観的に大切なものなどほとんどない。
どれほど、これからの後の人生がのこされているのだろうか。
5年だろうか10年だろうか。それすらわかるはずもない。

明日がみえない、どうしたらいい。それでもいきなくちゃ、とってもつらい。

ちょっとまえまでは、のんだくれて、自信満々、俺は、ただ者じゃないと、かっぽして、西麻布あたり

顔パスで、某ホテルを、かっぽしていた。

東京タワーが真ん前の素敵なバー、たいがいの女性をおとせる場所。

そのあとどうするのさ、それも、つまらなすぎる。

コロナ禍で、そんなガールフレンドも、ほとんどいなくなった。

ジエンド。

それでも、生きなきゃね。がんばらなければ、死ぬ勇気もないし、結局、気が弱く、

優越にいきなきゃ、生きられない見栄っ張り。

あしたの、自分、律して生きていられるだろうか。

その自信さえない。

一日、一日、一週間後、一ヶ月後、どうしていきているだろうか。

どうやって、希望繋げるというのだろうか。