僕が、深夜放送を熱心、聞き始めたときに、パックインから流れてきた。

「ににんがし」 僕の知らない街で、あの娘はどうしているだろう。風よ伝えてほしい。♬

とても、高校生だったころの僕をしげきした、大久保一久さん。

その後、猫、そして、あの風(正やんとのディオ)

 

その中でも、海風は、心にのこっている。

大久保さんの世界を構築しはじめたかんじだし、フォークから脱却の気がした。

 

その後、大久保さんは、大学に戻り薬剤師になったという。

僕も、その頃進路を決めかねていたので、薬剤師もいいかなとおもいきや、当時は

女子学生の多さに閉口した。

薬学部でも、東大、理科大は、薬剤師よりも、創薬へ進路も多く、関心があったが、

いずれも偏差値がたかい。

当時は、調剤薬局というのが、街にそんなになかったので、医者の娘の嫁入り資格のようなきがしていた。

 

大久保一久さんは、確か広島フォーク村で、吉田拓郎の後輩、享年71歳とあるが、なんと

正やんは69歳のようだ。

伊勢正三=風というイメージもあるが、大久保氏の功績は大きい。

 

「22歳の別れ」は、まさに、お見合い時代と、恋愛時代のはざま.

「暦の上では」は、学生時代から社会人への移ろいを見事にあらわしている。

君からかりたノートを返した、そのあと、ボタンダウンのシャツがそろそろ着られなくなるころ

僕は個人的には、明大前の駅、を思い出す。

当時付き合いがあった女性が、僕を明大前の駅の喫茶店で、またして、就職する最後のとき

明大の知り合いの部室にノートだか教科書を返しにいった。

 

革労協が幅をきかせていた、井の頭線「火薬庫前」左翼のかおり、亀井勝一郎やら、インテリぶった大学生が、文化祭でイベントやっていた。

学園祭女王、太田裕美も、明大やら生協の資金源になっていた。

 

話はそれたが、当時の風は、学生から社会人へなっていく哀愁を歌っていた気がする。

そこに大久保さんの、シティーポップ感覚は期待出来た。

海風は可能性を秘めていた気がする。

 

個人的には、失恋をしたときに、古都を尋ねたときにきいた「古都」大久保さんの曲

正やんの曲。ぴったり。

郷愁、哀愁がただよう。

大久保さんは、僕らの目標だった、本業をもち、その一方で、音楽活動をつづける。

そんな人生、僕もあるきかった。