このブログは、意外にも、実は二人で書いている。
といっても、東京にすんでいる(時々軽井沢)彼にに、ブログを書かかせたのは、かくいう自分です。

私は福井県の三国町在住で、AS歴はながい。もう75歳を回っているので、喜寿もちかい。

もともと、彼とはひょんとした出会いであり、慶応大学病院リウマチ科の本間医師(故人)の研究、都の特定疾患の認定

の時の血液サンプルとして、よばれたのだ、もともと私も東京在住の時期があり、小田急線町田に住んでいて、そこで今の

妻と知り合った。

そのあと、楽器職人になろうとおもい。渡米するつもりでいたが、そこで激痛が発生した。

その時に尋ねた医者が慶応のリウマチ科の本間先生だった、もう一人の彼も本間先生から紹介され、検体をとったときに

仲良くなったということでもある。詳しいいきさつは数十年まえなので、日本AS友の会などというものができていなころのことでもある。

彼はああみて東京農業工業大学の農学部で、一時は仕事、音楽の仕事していたが、これも病気の性なのかは不明だが、

その後は医療政策をやるようになり、いつのまにか仲良くなり、東京では、毎回あっていた。

ここ10年は直接あってないが、こういったことを書いたらというような提案はメールでしている。

私は、背骨は固まって傷みもない。そうして仕事も結構の重労働をこなしているし、ある面軽い方なんだろう。

彼は意外にも映像関係の東京工芸大学短期大学の講師をやっていた経歴もありが、どうやら農学部から医薬関係のオファがあり

そちらの学術が本業のようだ。お互いに私生活は知らないので、もっぱら傷みを分かち合うというわけでもないが、二人でAS友の会にもいったことあり、やっぱり雰囲気が合わずに、あの時は私の泊っていたパレスホテルに呼び語りあかしたこともあった。

それも、これも今は遠い昔。

正体がばれそうなので、今日はこのへんで。

 

 

 

 

 

 

 

難病というファクターは、人生において実に大きな意味を持つ。
それは、自分の選択肢を確実に狭めていくものだと思う。

最近観た団地を舞台にしたドラマには、膠原病を患う女性の人生の一場面が描かれていた。
ああ、わかるなあ、と思いながら画面を見つめていた。

社会からも親から兄弟からも、何か距離を置いてみられる孤独感はおそらく、独特の難病の世界感なんだろう。

でもひとついえるのは、こうして難病、膠原病を一般のドラマに取り上げられるようになったことは大きな進歩ノーマライゼーションでしょうか。

こうした、難病者、障がい者を蔑視しないという目的を強く主張されていたのが、名誉会長の田中氏だった。

彼の強いリーダシップは、賛否、功罪もありながらこの点は、田中氏と井上医師のタッグで、難病のスタンダードを変えたともいえるかもしれない、それは大げさでもASやその他の膠原病の認知度は世間に示せたのではと思われます。

 

AS(強直性脊椎炎)もまた膠原病に分類される。かつて「膠原病という病気は存在しない」と言った医者もいたが、それは明らかな誤りだ。膠原病という言葉はたしかに曖昧だ。分類としては症候群に近いのかもしれない。
しかし、順天堂大学が日本で初めて「リウマチ・膠原病内科」を標榜科として立ち上げたという事実が、それを裏付けている。
東大から来た塩川先生が開いたその科は、今も多くの難病患者の拠り所だ。

ASに関して言えば、整形外科が診ていた時代があった。
腰や股関節の痛みが主訴になるから当然かもしれない。
だが、ASの真の姿を理解し、先頭に立って診療を続けてきたのが、順天堂の井上久先生である。
彼自身が重度のAS患者でありながら、現役で診療を続けているその姿には、敬服の念を禁じ得ない。

日本AS友の会の創設にも、井上先生は深く関わっておられた。
名誉会長だった田中氏と共に、多くのAS患者の拠り所となってきたことは間違いない。
 

昭和から平成にかけて、関東・関西それぞれにあったASの会を統合したのが、日本AS友の会の始まりだった。
埼玉の塩崎さんら、その他、黎明期の多くの方々の尽力によって今がある。

…とはいえ、病を抱えて生きることは、やはり辛い。
家族や社会の理解を得るのも難しく、フルタイムで働くことも苦痛を伴う。
かつては「痛み止めしかない」時代だった。痛みのない生活がどれほど羨ましかったか。
「麻薬でもなんでもいいから痛みを消してくれ」と心の中で叫んでいた自分がいたかもしれない。

夢を見ようとしても、低く飛ぶことしか許されない。
そんな現実が、このドラマにはきちんと描かれていた。

それでも、思うのだ。
「幸せは、食べて、寝て、心許せる人と語らうこと」。
齢六十を過ぎて、ようやくその意味が身にしみてわかるようになった。

AS友の会は、たしかに大きな役割を果たしたが、脱会者も多かった。
トップダウンの運営で、井上先生の信頼性(ご自分が患者である)が強く、また一方で田中氏が他の活動を

抑えていたという話も聞く。
もう少し寛容で、開かれた組織であったら——そう思うこともある。

自分は一時期入会していたが、数年入会してながら、それ以来、完全な脱会者。
会員の誰とも話さなかったし、今も交流はない。
それでも、なぜか最近になって、無性にASの誰かと会って話がしたくなるのだ。
田中名誉会長も鬼籍に入られたと聞くが、それさえ脱会者には風の便りが届かない。
既に、多くの同病の仲間が、老いとともに去っていったのかもしれない。

ASという病気は命に直接関わらないと言われるが、加齢とともにその存在感はむしろ増していく。
CRPが高い、薬を常用している——それだけで、日常生活の質は大きく損なわれていく。
健康な人と“同じように”生きることの難しさを、しみじみ感じる。

だからこそ、これからの時間を大切にしたい。
会いたい人に会い、楽しいことをする。
少し羽目を外すことも、浮世の楽しみだ。

——たとえば、大河の「べらぼう」にでてくる、遊郭(吉原)にでも行ってみるか。
冥土の土産に、ね。

 

 

もともとバーが好きだ!!
いや、正確に言えば「ちょっとくだけたバー」が好きだった。バーテンダーや女性スタッフがいる、適度にリラックスできて、かしこまらない、そんな店。
自然とスタッフとも仲良くなるし、ついでにウェートレスに声かけたりもするわけで——ええ、ナンパです。

ただし、ガールズバーは別。あそこは時間制でお会計がすぐ青天井。行くなら“一時間一本勝負”が鉄則。
それより、ほどよくこなれた店の女性スタッフとのLINE交換の方がずっと効率的。
たとえば十番右京とか、案外LINE教えてくれたりするんだよね。

医療関係にも縁があって、看護師さんや受付さんに声かけたこともある。
意外とあっさりアドレス教えてくれる子もいたりして。……昔はね。
今はコンプライアンスだ、ハラスメントだと、なかなか世知辛い。

それでも、今までそれなりにガールフレンド的な存在はいて、LINEや携帯には女子の名前がずらり。
コロナ前までは、むしろ女子の方からお誘いがあったりして、ちょいちょい一緒に飲みに行ったりもしていた。
ただ、口説くといってもね、本気で落とそうとしてるわけじゃない。
こちらも妻子持ち、面倒な関係になるつもりもない。

長くゆるく付き合える、そんな関係が理想。もちろん、下心がないわけじゃない。
でも、絶対に気をつけてるのは「人妻問題」。
年齢的にも結婚してる女子は増えてくる。そうなるとこちらも気を遣う。

浮気や不倫を否定するつもりはないけど、W不倫はマジでヤバい
相手の旦那が超厳しいタイプだったりすると、食事行っただけでも修羅場案件。
そんな時はもう「是非に及ばず」で、素直に謝るしかない。

僕は「食事ぐらい、いいじゃん」派なんだけどね。
とはいえ、家庭を壊すつもりはないし、W不倫だけはぜったい避けたい。

僕の不倫(?)は自己責任。
相手に恋人がいようが、それぐらいじゃ引かない。
一歩外に出れば、こっちは“仮・独身”。あとは自分の家庭に帰ってちゃんと責任とるだけ。

だから相手は独身に限る——とはいえ、つい人妻と朝まで語り合ったこともある。
ちょっとキスしそうになったけど、彼女が幼なじみの娘で、パパが親友、ママも知ってる、って知った瞬間、そっと距離を置いた。これは大人の判断。

あと、50歳年下の女子大生を泥酔させちゃったこともある。
お持ち帰り? いやいや、そんなことしません。
店のマスターと相談して、ソファに寝かせて、目が覚めるまで2時間見守って、無事に家まで送り届けた。
僕、流行りの“酔わせてどうこう”系には全然興味ない。
むしろ「この人、本当に美味しいものわかってるな」って言わせたい。
それが“大人の男”の粋だと思う。

今も、ゴハンの約束をした女子が数人。
でも「旦那が許してくれない」とか、「子どもがいて時間とれない」とか、いろいろ事情はある。

それでもね、女子とのランチが趣味です。

もっと言うと、夕方から夜にかけての初夏のテラスでのディナー、それに続くバータイム。
これが最高。
別に口説かなくてもいいんだ。
「美味しい〜」って女子が心から言ってくれたら、それだけで嬉しい。

それが、本気かそういってるか、いや感じている、あ見分られるようになった。

素敵な女子が、びっくりさせるぐらい美味しいっていわせたい。

その顔をみて、100%満足してしまうというのもほんと。

——そんな歳になってきた。

というわけで、今日もLINEでこう送ってる:

「ねぇ、ゴハン行かない?」

順天堂大学の躍進とその背景 ~凋落の兆し~

気がつけば、順天堂大学は偏差値の面で私立医学部の雄・慶應義塾大学医学部に迫る存在となっている。

この躍進の背景には、小川理事長の存在が大きい。前理事長・石井氏(京大出身・脳外科)から順天堂の生え抜きである小川氏へとバトンタッチされたことで、順天堂は本格的な改革を進めてきた。かつては鉄門(東大医学部)出身者が教授を占め、どの診療科を回っても東大派閥が支配する状況だった。しかし、小川氏が皮膚科教授から学長、そして理事長へと昇進するにつれ、少しずつ生え抜きの教授が増えていった。

順天堂の名を一躍高めた要因として、心臓血管外科の天野教授(元・日大医学部)を一本釣りし、現上皇陛下の心臓手術を成功させたことが挙げられる。しかし、順天堂の実力の基盤は、それ以前から築かれていた。たとえば、順天堂初代膠原病内科教授の塩川氏(東大出身)が日本初の膠原病内科を設立し、その後、免疫学の奥村康教授(千葉大学出身)を迎えたことで、免疫学と膠原病内科の連携が進んだ。これにより、順天堂は基礎医学の分野でも鉄門派閥に匹敵する存在となった。

また、病院としての順天堂の躍進には、VIP病棟の設立が大きく寄与している。山内整形外科教授が病院長に就任した際、特別病棟を整備し、多くの著名人が順天堂に入院するようになった。山の上ホテルを招致した食堂は、病院とは思えないホスピタリティを提供し、病院の評価を飛躍的に向上させた。

この時点では、病院の格は一流だったものの、医学部としてはまだ二流扱いであり、慶應、慈恵、日医には及ばなかった。しかし、病院のステータスは高まり、多くの政財界・芸能界のVIPが順天堂を選ぶようになった。小渕総理が搬送され、美空ひばり、渥美清、森光子、本田宗一郎、井深大など、多くの著名人が入院したことで、「富裕層の病院」としてのブランドが確立された。

とはいえ、課題もあった。一般外来は比較的利用しやすいものの、新病棟建設後は大部屋が激減し、庶民が急な入院をすると1泊3~4万円の個室しか選べないという状況になった。私は「一般の人は国公立や公益病院を選ぶべき」と常々考えていたが、その理由の一つがここにある。

また、当時の順天堂は、名医が揃っているとは言い難い面もあった。例えば、小渕総理が脳梗塞で倒れた際、記者会見を開いたのはパーキンソン病の専門医であり、「もし徳洲会のような高度な脳卒中治療を行う病院に運ばれていれば助かったのではないか」という声もあったほどだ。

この状況を打破すべく、小川理事長は天野教授を招聘し、心臓外科のブランドを確立。さらに、大学改革にも着手し、学費を約1,000万円引き下げたことで、一気に偏差値が上昇。これにより、長らく私立医学部の序列を形成していた「慶應、慈恵、日医」の枠組みに変化が生じ、今や「順天堂が慈恵を抜いた」とする意見すら出てきている。

順天堂の成功は、単なる心臓外科の躍進だけではなく、基礎医学、臨床医学、病院経営、大学運営の多方面にわたる改革の成果であるといえるだろう。

現在、順天堂は、本院、練馬病院、浦安病院、静岡病院、越谷病院、その他も含めて、直轄の大学病院を有している。その中ではポストも多く、ほとんどが生え抜き(順天堂出身)で固められつつある。

しかし、元々順天堂は「名医より良医」という発想で、開業医を育成する大学としての礎を築いてきた。そのため、開業医向けの大学としては偏差値が高いという声もあり、また開業医としての基盤も旧医専である慈恵、日医には及ばないのが現実である。

例えば、慈恵は港区、目黒、世田谷などの山の手地域で開業医が多く、日医は下町方面では「国立の東大、私立の日医」と双璧をなしている。開業医は下町関係では日医の強さが際立っており、医局の応援もあるため、開業のしやすさでは順天堂より優位にある。

一方、順天堂が偏差値を上げても圧倒的に不利な点がある。それは、順天堂本院や各大学病院以外には、大学や病院の実績(ジッツ)が極めて少ないことである。これは慈恵や日医には太刀打ちできない要素であり、また、慶應のように北里、東海、聖マリアンナ、埼玉医科などの関連病院網を持つわけでもない。

総合すると、順天堂は今や偏差値だけで評価される大学となりつつあり、内部での出世か開業医の二択の選択肢に限られている。東大、慶應、千葉大学の医学部には到底かなわず、旧医専である慈恵や日医にも病院の実績や開業支援の面で劣る。

順天堂は、数十年前は平凡な開業医養成大学だったが、今では慶應を追う私立医学部のトップに近い存在となった。しかし、歴史ある慈恵、日医には及ばず、国立旧六医専には遠く及ばない。

最大の懸念点は、首脳陣の高齢化である。順天堂を躍進させた小川理事長、免疫学の奥村特任教授なども80代中盤であり、数十年も同じメンバーで支えてきた。この世代交代が訪れた際、順天堂の未来がどうなるかは未知数である。

順天堂の出身医師たちも、今後はより謙虚な姿勢を持つことが求められるだろう。
もちろん、病院のジッツは、昔よりは大学、教授、医局からの派遣の力は弱くなり、フリーエイジェントで、病院は選べる時代となったので、順天堂が慈恵、日医よりジッツがないといっても、大した問題ではないという意見もあります。

しかし、はやりまだまだ有名病院は、国立旧帝大、旧国立六医大、私立御三家(旧私立医専)慶應、慈恵、日医の色々な地域でのネットワークにより医学界は支配されていることを知るべきである。

 

そんなことを書いている間に、順天堂がかねてから予定していた、埼玉の800床の病院計画が頓挫したことが決定となりました。
順天堂も偏差値に奢らず、土台を固めておかないと、順天堂バブルと言われないように感じます。

常に何事にも歴史と伝統があります。そのことを見て、受験生も医学部の選択をして欲しいと思います。

 

私は実は、副業というか旧友との付き合いで、予備校に関わっています。

といってもたまに、何かのテーマについて話してほしいということで、
話題提供程度なのだけど。

受験で、医学部熱は覚めやらないように、端から見える。
これだけ開業医が増えても、成績が良いから医学部というのが多いのは、私は嘆かわしいと思っています。
既に医者もオワコンだといっても、多くの親御さんは聞く耳を持たない。

最近話題の四人の子供を理Ⅲに入れたというおばちゃんがいるが、こういうのは羨望の的なんだろうなと思うが、
今は東大理Ⅲを出たって、30代で開業している輩もいる。

開業したら、何大でも変わりないじゃない。
もちろん、国立は300万から400万の学費で医者になれるわけだから、確かにお得感はある。

しかし私立はどうなんだろう。国際医療福祉大、慶應、順天堂大学と、2000万前後で入れる大学もあり、
上級サラリーマンなら、入学時に500万として、残りは300×5となれば、まあ想定内かもしれません。

しかし、私立医大は、それ以外にもハイソな方の集まりですからお付き合いも大変です。
校友会、父母会も何かと金がかかりますので、まず普通の家庭はお勧めできない。

私立医大といえば、まず慶應だが、これはやはり東大と双璧として圧倒的だが、
東大理Ⅲに合格した際には、慶應に行く方はほぼいない。
もう一つは学費の壁だが、慶應の壁でもあり、ライバルは東京医科歯科、千葉大あたりでしょう。

両方受かったらどっちか。慶應ブランドも捨てがたいが、一般民は医科歯科か千葉でしょうか。
300万台の国立と慶應の2000万台、差は縮まったといえど桁が違う。

しかし、その後の医師人生としては、慶應は捨てがたいところで、東大と私立の雄としてガチで勝負できるのは慶應だけでしょうか。

私は、慶應が無理なら旧国立六医専を薦めている。千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本である。
ここを出ておけば、実は旧帝大と並ぶブランドが得られる。東大院や医局へ入るにも旧国立六医大は有利。

え、東大が駄目なら、国立では東京医科歯科ではないの?というかもしれないが、それは偏差値の都合だけ。
筑波も高いが、旧六医専にはかなわない。慶應に学費の面で入れないならば、ぜひ旧国立六医大を薦めたい。

では、私立では??予備校の講演が迫っている。また書きます。

やっぱり慶應圧勝だったのが、躍進する順天堂に追い上げられているのか。
順天は本当に慈恵、日医を抜いたかも含めて書きます。
偏差値で大学は見ないのが良いのではと思います。副業、某予備校非常勤講師として斬新な意見を述べたいと思います。

確かに、ASなどは、痛み止めを数十年、いや死ぬまで飲み続ける疾患でもある。

このことは、いいのか悪いのか。

確かに、痛み止めを止めた方がいいというのは、正論の部分はある。

痛み止めも中毒性があるし、トラムセット、リリカなどは、麻薬といってもいいでしょうか。

最近、批判がつよい、向精神薬、デパス、これは中毒になるから止めろ大合唱は、

嘘ではないが、痛み止めを減らすには、デパスは良い薬だ。

副作用は、禁断症状ですが。

ここでの、定説を申し上げると、前期高齢者ぐらいになったら、先は知れているからデパスの中毒でもしかたないと知るべしかな。

いずれにしても、医療は否定しても、仕方ない部分もある。

ASで痛み止めを飲んで、やっと動けるようになる、必要以上に大目に飲んだり、

身体にいいわけきゃないわかっちゃいるけど 止められない。

それでも、難病は、薬を飲み続けるしかないのです。

 

AS友の会について、批判的な意見を常の書いてきたという経緯もあるが、いまとなれば、友の会も、奇抜な組織であり、田中名誉会長というのは逸材であったとえるでしょう。

そして、順天堂の井上医師の献身的な(ご自分もAS)で、あるという説得力で、

今も、老体に鞭をうって、順天堂AS外来をこなしているの敬服するのみである。

しかし、今のAS友の会は、まさに田中-井上のこのシンパシーというかこの二人によって作り出された、ハーモニーともいえる。

もちろん、このタッグは、多くの人を救って来たのは事実です。

 

その中の功績の一つ、確か田中名誉会長の提案で、ASカードというものを作って、

服用の薬、ASの病態、他の疾患歴などカードに記載して携帯するというもの。

下記の東京都のヘルプカードというものがあるが、まさにそれの先駆けといっても

よいだろう。素晴らしいアイディアだといえます。

 

AS友の会を嫌うひともいて、自分も友の会の空気について行けなかった一人で、あるのだが、当時不可能と思えていた、指定難病認定も成功させたのは、田中名誉会長の悲願でしたし、井上医師のサポートあってこそのことでしょう。
そして、難病というものが、差別があってはならないと主張した、田中氏は、偉かったとおもう。
僕らは、難病という蔑視のことばから逃げいた、逃げずに闘おうとした、田中氏と井上医師は、素晴らしいことを歴史に刻んだ。
そして、今もAS外来は、順天堂で行われている。
おそらく、心の支えを求めているのだろうか。

おそらくセラピーに近いのだろうが、それはそれで大切な事だと言えるだろう。

しかし、友の会を脱会や卒業してきたものは、なんとなく、彼らの独裁にみえていたのは事実で、何となくその辺がいやだったのだろうか。

とはいえ、今はもう一度、会員、非会員、卒業したもの脱会したも、集まって語り合いたいと心底おもう。

 

今もそこに入っていけない排他性があるとすれば、大きな問題でしょうか。

もっと広く、広い心で私達、落ちこぼれを救ってほしい。

 

 

 

先日この方の講演会があり、サインもいただいた。

なんと、軽井沢にいらして、ミニ講演会と即日販売

講演内容からコロナワクチン否定本でもあることがわかりました。

コロナが実に良く検証されている。

彼は、農学部出身で、PCR検査のオーソリティーである。

今度、順天堂免疫学の奥村康教授から、次号は監修をもらうと豪語している。

コロナ批判の急先鋒、元参政党の吉野敏明先生に監修を頼んだところ駄目だったと。

近藤誠医師、勝俣医師、矢野英雄医師、在宅医山崎章郎医師、

色んなドクターとの繋がりを含めていろいろ多方面い書いてある。

ただ一貫性のないのは、色々な雑誌投稿をまとめた感があります。

もう一つ、難病を知っているのか。と問いたくなる。

病人でも幸せな生き方みたいなのは、正直頭にくる
ずっと難病で過ごして来た病人にとっては、この著者には分かって

無いようにおもう。頭にくるところもあるが。

それでも、総合で◎

☆は、三つ

エクスイズム出版というところからの電子ブック
POD(紙の本)は高いので電子版でさっと読むならいいだろう。

これは、増補改訂版だが、じつは前作がある。

それは、もっとコロナについて詳しく書いてありそう。
今は絶版、PODはプレミアムが付いている。
平均、5000円~7000円 希少本として興味のある方は

どうぞ。

 


根拠(エビデンス)に基づく医療とは、本来「建前」ではないのか~ 標準治療を超えた「触れ合い」がもたらす医療 ~ 増補改定版 (eXism Short Magazine) | 中島 拓郎, エクスイズムCAS出版 | 医学・薬学 | Kindleストア | Amazon

ドアミラーは、進化から生まれたデザイン優先という訳ではありません。但し、ASのように首が動きにくい疾患、また身体に障害がある場合は、フェンダーミラーが良い。
更に、フェンダーミラーは、やはり車幅感覚がつかみやすい。しかし、左巻き込み、左真横の車に気づきにくい、なれないとミラー画面が小さいので後方車両の遠近感はつかみにくい。しかし、そもそも、フェンダーミラーも選べなくなったのは、大きな失態 ASなどの障がい者に優しくないユニバーサルサービスに逆行してませんか。


1. フェンダーミラーが廃れた理由
(1) 視認性の向上
ドアミラーの方が、運転席からの視線移動が少なく、道路状況を把握しやすい。
フェンダーミラーの場合、視線をより遠くへ移動させる必要があり、視線の戻りが遅くなるため安全性が低いとされた。
(2) 空力性能の向上
車両の前方に突き出たフェンダーミラーは空気抵抗が大きく、燃費性能に影響を与える。
ドアミラーは車体に近い位置に取り付けられるため、空力的に有利。
(3) デザイン性
ドアミラーは車のデザインと調和しやすく、洗練された外観が好まれるようになった。
特に1980年代以降、消費者の美意識やグローバル化によりドアミラーが標準化。
(4) 規制の変更
世界各国での安全基準や車両設計の統一化により、ドアミラーが標準装備として法的に求められるようになった。
2. タクシーでフェンダーミラーが採用されている理由
日本のタクシーでフェンダーミラーが今も採用されている理由には、以下の要素があります:

(1) 運転効率
運転手が車両幅を正確に把握しやすい。狭い道や駐車場での操作がスムーズになるため、タクシー業務に適している。
(2) ミラー確認の負担軽減
フェンダーミラーは運転手の視界に常に入りやすい位置にあるため、頻繁に確認する必要のあるタクシー業務での使い勝手が良い。
ドアミラーの場合、ミラーを見るたびに視線移動が大きくなる。
(3) コスト面の利点
フェンダーミラーは破損しにくい位置にあるため、接触事故や修理の頻度が減る。
一方、ドアミラーは狭い道や駐車場での接触が多い。
(4) 慣れと業界の伝統
長年の運転手たちの慣れや、タクシー業界での標準仕様が影響している。新たに導入されたジャパンタクシーでもフェンダーミラーが継続採用されているのは、この業界特有のニーズを反映している。
3. タクシーの特殊性が関係している
タクシー業務では、長時間の運転や都市部の狭い道路を頻繁に利用するという特性があるため、機能性が優先されます。また、タクシー運転手の大多数がプロドライバーであるため、デザイン性や空力性能よりも「実用性」を重視した車両設計が受け入れられています。

4. まとめ
フェンダーミラーは、一般車ではドアミラーに視認性やデザイン性で劣り、時代とともに廃れました。一方で、タクシーでは実用性や運転効率の面でフェンダーミラーが有利であるため、今でも採用されています。このように、用途や目的によって適切な仕様が選ばれているのが、日本のタクシーにおけるフェンダーミラーの特徴と言えます。


私見では、フェンダーミラーは、運転席から見やすいものの、後方の遠近感がつかみにくいようにおもいます。 また左側(助手席)に死角が生じる。ドアミラーだと左のミラーを見るとき左側(真横)を首をうごかし目視できるので 安全性が高い。なれもあるが、フェンダー利点が大きいなら、ここまで廃れないといえます。 車幅についても、ドアミラーも電動になり、ぶつかりにくい、更に自動警報装置、カメラなどで車幅などは補える。


鋭いご指摘ですね。フェンダーミラーとドアミラーの違いや、それぞれの特性を考えると、確かに運転の安全性や快適性においてドアミラーが優れている点が多いように思われます。ご指摘の内容を踏まえ、さらに詳しく分析してみます。

1. フェンダーミラーの問題点
(1) 遠近感のつかみにくさ
フェンダーミラーは運転席から遠くに取り付けられているため、後方の距離感や位置関係を正確に把握するのが難しいという意見があります。

特に後続車との距離感を誤認しやすい点が、一般車での採用が減った理由の一つと考えられます。
(2) 助手席側(左側)の死角問題
ご指摘の通り、フェンダーミラーでは助手席側の死角を確認するためには首を大きく動かす必要があります。一方で、ドアミラーは目線を少し動かすだけで確認でき、さらに目視確認もしやすい構造です。

死角の確認における柔軟性で、ドアミラーの方が安全性が高いと言えます。
(3) 車幅感覚と補助装置の進化
かつてはフェンダーミラーが車幅の把握に有利とされていましたが、現在ではドアミラーが電動で格納できるほか、サイドカメラや自動警報装置などの補助技術が普及しています。これらの技術は、狭い道や駐車場での操作を容易にするため、フェンダーミラーの利点を大幅に削減しています。

2. なぜタクシーで残るのか?
(1) 慣れと標準仕様
日本のタクシー業界では、プロドライバーたちが長年フェンダーミラーを使い続けてきたため、「慣れ」が大きな理由となっています。

タクシー運転手の多くが中高年層であり、従来の操作感に基づく仕様変更への抵抗がある可能性も考えられます。
(2) 業界の保守性
タクシー車両では、デザインや最先端技術よりも実用性とコストパフォーマンスが優先されます。ジャパンタクシーがフェンダーミラーを採用した背景には、運転手やタクシー会社の声を重視した結果であると言えます。

ただし、これが「利便性が優れている」ことの直接的な証拠とは言えません。
3. 一般車におけるドアミラーの優位性
ご指摘のように、ドアミラーは現在の一般車両において以下の点で優れています:

安全性の向上:左側の視界確保が容易で、ドアミラー越しに目視確認もしやすい。
補助技術との連携:ミラーに組み込まれるカメラや警報機能が、視覚情報をさらに補強。
空力的・デザイン的な利点:車両全体の効率性と美しさを損なわない。
これらの要素が一般車でフェンダーミラーが廃れる主な理由となっています。

4. まとめ
フェンダーミラーの利点は一部の特殊な用途(例えばタクシー業務)では残っていますが、現代の技術や安全基準、運転環境の変化を考慮すると、一般車ではドアミラーが圧倒的に合理的です。

タクシー業界においても、今後の技術革新(例えばカメラミラーの普及や運転支援システムの高度化)が進めば、フェンダーミラーの需要はさらに減少する可能性があります。現在のフェンダーミラーの採用は、「利便性の優位性」というよりも「慣れ」や「業界の特殊性」によるところが大きいと言えるでしょう。

かつて、このblogでも、あるドクターが、断然フェンダーミラー見やすく、ドアミラーは、ファッション性だという意見があった。

そこで、いろいろと検証しているのだが、AS(強直性脊椎炎)は、首が動かないので、フェンダーがいいが、ある程度動くならドアミラーの方が死角がすくないという

意見がほぼ結論づけられている。

一方、ハイヤーの運転手、さらに要人の運転を担当したプロドライバーは、フェンダーミラーで、左助手席のところにドアミラーをつけるのが、視界が少ないという声がある。

私見では、フェンダーミラーとドアミラーは明らかにドアミラーが死角が少ない、というより後方車両の接近度が、気配がつかみやすい。

フェンダーは、みえても小さいので、距離感がつかみにくいという点、結局なれなんだけど旧車でフェンダーにのってみると明らかに左巻き込みの可能性は、フェンダーミラーの欠点でもある。

以下は、とある記事の抜粋ですが、決してドアミラーが絶対ではないし、選べるようにする障がい者ようには、フェンダー+左ドアミラーをオプションできるように、ユニバーサルな対応が必要ではないでしょうか。

やっぱり助手席に女性を乗せたときは、ドアミラーを見るふりして、横顔や膝のあたりに目をやる楽しみ、自分もASですので、かなりキツイのですが、運動のためもあり

ドアミラーを楽しんでいる。

 

「クルマのフェンダーに生えてる「謎のミラー」なぜ無くなった? 唯一「タクシー」に今でも採用される意外な理由とは」

クルマの装備でかつては定番だった「フェンダーミラー」ですが、現在は滅多に見かけなくなりました。しかし、一方でいまだにフェンダーミラーを採用している車両もあるようです。

なぜ「ジャパンタクシー」はフェンダーミラーを採用するのか?

 1970年代にさかのぼると、クルマのサイドミラーは「フェンダーミラー」が主流でした。
 
 フェンダーミラーとは、その名の通り、タイヤを覆う「フェンダー」に装着されているサイドミラーのこと。しかし、現在は「ドアミラー」に取って代わられています。
 
 なぜ、フェンダーミラーはなくなってしまったのでしょうか。


めっきり姿を消した「フェンダーミラー」のクルマ

 かつてはボンネットを持つ車両はフェンダーミラーの装着が義務付けられていました。

 一方で、欧米では日本より一足先にドアミラーが取り入れられており、そのため、日本で走るクルマでドアミラータイプのものは輸入車に限られていたのです。

 しかし、日本でも1983年に規制が廃止され、ドアミラータイプの車両の生産が可能になりました。

 その後はドアミラーが普及していくようになり、フェンダーミラーはめっきり姿を見せなくなったのです。

 しかし、今でもなお、フェンダーミラーが残っている車両があります。それがトヨタのタクシー専用車「JPN TAXI(ジャパンタクシー)」です。

 このジャパンタクシーを導入している企業は多く、もはやフェンダーミラーはタクシーのアイデンティティとなっていると言っても過言ではないかもしれません。

 では、なぜジャパンタクシーではいまだにフェンダーミラーが取り入れられているのでしょうか。

 都内のトヨタ販売店の担当者は次のように話します。

「法人タクシー会社には、昔は『クラウンコンフォート』というフェンダーミラーを使っている車両を多く使用していただいていておりました。

 この法人タクシー会社がそのままジャパンタクシーに移行されていきました」



 ジャパンタクシーは2017年に登場したモデルですが、その先行モデルとして位置付けられているのがクラウンコンフォートです。

 では、なぜジャパンタクシーに移行する際にフェンダーミラーを残したのでしょうか。

 この疑問に対し、トヨタの関係者は「タクシー業界からの強い要望があったため」と答えています。

 フェンダーミラーがタクシー業界で強い人気を集めている理由としては、そのメリットがタクシーの特性にマッチしているためと考えられています。

 ドアミラーの場合、後方確認したい時に頭を動かして目視する必要がありますが、フェンダーミラーは視線移動だけで確認が可能です。

 タクシードライバーは、車線変更の時など、安全運転のために後方確認が必要な場面が多いです。

 しかし、その度に頭を動かしていると、お客さんが聞き耳を立てられているように感じてしまう可能性があり、大きく頭を動かす必要のないフェンダーミラーが好まれているといいます。

 しかし、フェンダーミラーにはデメリットもあります。

 フェンダーミラーはミラーの位置が遠いため、確認できる範囲が狭く、見えづらい範囲が発生。その点、視点に対して鏡の位置が近く、死角の少ないドアミラーの方が使いやすいかもしれません。

 そのため、なかにはフェンダーミラーに補助ミラーを追加装着するケースもあるようです。

 また、今ではほとんどのクルマがドアミラーを採用しているため、いざフェンダーミラーの車両に乗ると「使いにくい」と感じる人も少なくありません。

 こればかりは慣れともいえますが、ドアミラーが主流の今、あえてフェンダーミラーを取り入れる必要もないというのが現状のようです。

 前出のトヨタ販売店の担当者は、次のようにも話しています。

「ジャパンタクシーを購入されるのはクラウンコンフォートの時から使用されていた法人企業が多く、個人タクシーのお客様などジャパンタクシーを選ぶ方は滅多にいません」

 ちなみに、このジャパンタクシーは自家用としての購入も可能とのこと。しかし、ジャパンタクシーはタクシー用のクルマということもあり、LPガスを燃料としています。

 LPガスは排ガスが環境に優しく、航続距離が長いというメリットがありますが、補給できる場所が少ないというデメリットがあります。

 販売店にはジャパンタクシーを個人用として使いたいという問い合わせが来ることもあるものの、自家用車として利用するのはあまりおすすめできず、購入を諦めた人もいるそうです。


 フェンダーミラーは現在ほとんど姿を消していますが、ジャパンタクシーだけはいまだに取り入れ続けています。

 これはタクシーの特性やこれまでの背景が反映されているためで、そのため、フェンダーミラーは今ではタクシーを象徴するものとなっています。