リードホルム氏が僕に一番教えてくれたのは、

サッカーは遊びということだった。

この言葉は僕にとって宝物で、ずっと忘れないよ


パオロ・マルディーニ



※リードホルム氏はACミランのコーチ。16歳でデビュー戦を迎えたマルディーニを

 「パオロ、遊んでこいよ。これはゲームなんだから」と言って試合に送り出した。

 (さらに 蹴球神髄 より)






ボールを蹴った分だけしかうまくならない。

本当にうまくなりたい奴しかうまくならない。

本当にサッカーうまくなりたいのか?サッカーをなめるなよ。


風間八宏


※筑波大学蹴球部監督も務める風間が、練習試合に敗れた選手達に対して

  放った厳しい言葉

  (さらに 蹴球神髄 より)





「遊び」と「戦い」の狭間。


そこにサッカーの「深み」がある。


「育成」と「結果」は矛盾しているようで矛盾しない。


とオシムがいったらしい。


「遊び」と「戦い」の両立についても同じことが言える。


矛盾しているようで矛盾しない


そんな選手、チームを送り出したい。

「今を生きる」




映画を観た。


何年ぶりに観たのか分からないほど、昔に観た映画だ。


最近、なんだか悩まされる「自由と規律」の考え方・・・。


選手には生き生きとプレーして欲しい。


でも、自分勝手にそれぞれがやり始めると不協和音がチームを蝕む。


そんなバランスをどこでとるのか・・・?



中学3年生最後の大会である高円宮杯。


僕が監督になって7ヶ月程度。


心理学的に言えば、外的動機付けではなく、内的動機付けに腐心して働きかけてきた。


彼らは、今持っている力は出し切って敗れた・・・と感じている。


人によっては、普段のトレーニングから垣間見られる「甘さ」が最後の結果に影響したとも言うだろう。


本当に良いプレーをしていただけに・・・。


「甘さ」と「遊び」をどう区別するのか?


「遊び」のあるサッカーをしてほしいのだ。そして、それで結果もとりたいのだ。


いつもはりつめた中でやっていては「遊び」は出ない。


とはいえ、なんでもありになってしまうと無茶苦茶になってしまうのも事実である。




「自由」と「規律」




大きなテーマである。


映画の話に戻ろう。


これは好みの問題であるのかもしれないが、僕はキーティング先生派だ!


(観ていない人には分からないだろうけど)


久々に観て感動して泣いちゃったぜ。


「規律」に縛られて自分を出せない生徒(選手)は不幸だ。




教育は、百人の凡人を向上させるけれども、同時に一人の天才を凡人に変える危険性を持つ




と言った人がいるらしい。



自分がどうなりたいのか



を見つけておらず、言われたことを守るだけでは可能性は広がらない。


「規律」という安住地に身を置いて責任を放棄しているだけなんじゃないのか?


一見、しっかりしているようで「自分」がない。


そんな壁を打ち破らせたい。


挑戦は続く。

教えるということは、こちらが差し出したものがつらい義務ではなく、


貴重な贈り物だと感じられるようなことであるべきです。


アインシュタイン