前回の続き。

荒俣宏氏の「四門」の旅。

四門とは、天皇家とその都を守る4つの封印である。

そもそも「門」とは何なのか。

門という字には「戸」が2つ向かい合っている。

 

 

 

東北には「戸」のつく地名がある。

一戸〜九戸まで、その先が十和田湖と、一から十までそろっているのだ。

これもまた封印なのかもしれぬ。

 

 

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桓武天皇が京都に「平安京」をひらいた794年。

当時の大和政権は日本全土のほんの一部を支配していただけだった。

九州の隼人。

東北の蝦夷。

南海の海洋民。

日本海側には朝鮮半島や大陸から来た人々がいた。

このうち最後まで大和政権に抵抗したのが、北の蝦夷だった。

 

 

789年。

遠征先の平泉。

その先にある衣川でアテルイ率いる蝦夷軍に大和軍は敗れた。

そこで桓武天皇は自分と同じ渡来系の武将・坂上田村麻呂にアテルイ討伐を命じた。

もし、田村麻呂が「北の門」を守ることが出来なければ、大和政権の危機となる。

坂上田村麻呂は「征夷大将軍」という肩書きをもらい、東北へと出陣した。

だが討伐はならず、和睦という形になる。

様々な文献には「蝦夷を討伐した」とあるが実際のところ和睦であった。

ところがアテルイを都に連れて行くと、都の人々がこれに反発。

「アテルイを斬る」

と言って譲らない。

かくして田村麻呂の嘆願も虚しく、アテルイは京で首を斬られた。

都の裏切りである。

その後、何があったのかは不明だが、東北鎮護の人々はアテルイの怨念を鎮めようと躍起になった。都に晒されたアテルイの首をねんごろに葬り、祭りを執り行った。

そうでないと蝦夷の反乱が起き「北の門」を守れなくなる。

 

 

そもそも「四門」とは、

大和政権から見ての東西南北に位置する「まつろわぬ人々」の怨念や祟りを鎮めるための装置だったのだと思う。

が、今はそうではない。

天皇のおわす都は東京である。

それでも──

北の東北

南の沖縄

東の小笠原

西の対馬

この「四門」は、

今の日本にとって「日本を守るための大切な四門」だとわたしは思う。

東日本大震災では東北が動き、甚大な被害が出た。

対馬は韓国資本により多くの土地が買われ、韓国人が移住している現状。

今は台湾をめぐる中国の怪しい動きに沖縄が晒されている。

動画で見たのだが沖縄にたくさんの人が来すぎて、土地を買われ、御嶽に入られ、

色々と問題が起きているようである。

琉球ノロの末吉さんが言っていた。

「今こそ琉球魂を蘇らせる時」だと。

四門のある土地の魂が目覚めようとしている。

今はそういう時期なのかも知れない。

 

 

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余談になるが、

荒俣氏はこの本の中で面白いことを書いている。

イザナギとイザナミが国産みをする時、大地に立てたという

天の御柱

あめのみはしら

これは地中に立てた

土圭

とけい

のことであるという。( 上のイラストがそれ )

土圭は、日時計や方位測定器を指し「時計」という言葉の語源となった。

国造りのための方位測定器──

尺度では八寸。

これは「吉祥を恵む長さ」であり、日本ではこれを、

阿多

あた

と呼んだ。

阿多という音を含む神名、人名、地名などは、

古代風水師の技術を持った人々だと、荒俣氏は推測している。

──ということは、阿多隼人も!?

東北のみならず、四門のある地にはこの手の技術者集団がいたのかも知れぬ。

ということで次回で最終回。

次は「西門の対馬」である。