『灯火録』という本がある。

10巻あって、元木蘆洲という人が著者である。

文化九年( 1812年 )に書かれたもので、

この本は徳島県の地名、神社・仏閣の由緒などを157項目にまとめたものだ。

その中に妙な記述を見つけた。

 

 

後鳥羽院文治三末年三月十八日 

人麿影供の御会を行はせ給ふ、

藤原信実時の妙手にて勅を奉はりて画きしとなむ、

其の時此の里の海人に命せられ御料用の品物を捧げしとぞ、

其の遺風にや今も此の浦人 

海草、蛤の類を取りて他所に持出て売ありくなり、

人丸神社あり、深きわけあることとて歌人の秘事なりとそ

 

 

人麿影供

海人

人丸神社

歌人の秘事

 

 

画像はお借りしました。

 

 

人丸神社というのが、

徳島県鳴門市里浦町里浦字坂田にある。

この地は柿本人麻呂が船を寄せたと伝わる場所で、

島根県益田市の高津柿本神社、

兵庫県明石市の柿本神社とともに

柿本人麻呂を祀る日本三社の1つに挙げられている。

永久6年( 1118年 )に藤原顕季が始めたとされる「人丸影供」の財源を、

この地にある里浦荘からまかなったと伝わる。

 

 

徳島県……

里浦には何かあるんだろうか?

『灯火録』の謎めいたあの文章。

それって、こういうことになるのか。

人丸神社が里浦にあることは深い訳がある……

 歌人の秘事なり……と。

 

 

 

 

こんな動画もあった。

柿本人麻呂は【 阿波海人族 】だったという驚きの内容。

本当なのか!?

 

 

坂野郡里浦村あま塚。画像はお借りしました。

 

 

さらに……

この人丸神社は、

蜑の男狭磯( あまのおさし )の墓がある蜑屋敷の南の丘に鎮座しているそうな。

蜑の男狭磯

あまのおさし

この『蜑の男狭磯』のお話を、

徳島新聞の『阿波の民話』より少しばかり長いが引用する。

 

 

允恭天皇14年9月12日、

天皇は淡路島へ狩りに出かけられたそうな。

淡路島には鹿や猿、猪がようけおった。

ところが天皇や家来どもが島中を走り回っても、1匹のケモノも捕れなんだ。

こんなことは今までになかった。

ほんで、島の神様におうかがいすると、

「ケモノがとれんのはわしがそうさせとるからじゃ。

赤石の海の底に見事な真珠がある。

ほの真珠を捕ってきてわしにまつれば猟は思いのままじゃ」

と、おおせられた。

早速、全国から潜りの名人を集めて赤石の海の底へ潜らせた。

ところが海があんまりにも深いので誰一人海の底まで届いたもんはおらなんだ。

ほのとき、天皇は阿波の長邑( ながのむら )に

男狭磯( おさし )ちゅう潜りの名人がおるんを聞いて呼び寄せた。

天皇は男狭磯を呼ばせた。

やってきた男狭磯に、腰に長い縄をくくり付けて海底へ潜らせた。

男狭磯はしばらくして浮き上がりながら、

「海の底に大けなアワビがおりました。ほの辺りが光っとります」

と、申し上げた。

天皇は「それだ。島の神が欲しいという玉はそのアワビの腹の中にあるはずだ」

男狭磯はまた海の底へ潜った。

だいぶしてから男狭磯は大きなアワビを抱えて浮き上がってきた。

しかし、海の中であんまりおったんで、息が絶えて波の上でのうなってしもうた。

天皇が縄で海の深さを測らせると、なんと六十尋( ろくじゅうひろ )もあった。

この深さでは並の海士( あま )はよう潜れんだろうと囁きおうた。

早速、アワビの腹を割くと桃の実ほどの大けな真珠が出てきた。

天皇はその真珠を島の神さんにお供えして狩りを始めた。

面白いほどの獲物があった。

島の神さんは、

「こんな見事な真珠をまつってくれたんは嬉しいが、

ほのため海士が死んだそうな。丁重に葬ってやれ」

と、言われた。

天皇は早速家来に命じて墓を造らせた。

ほれが里浦にあるアマヅカじゃ。

 

 

蜑の男狭磯の墓。画像はお借りしました。

 

 

蜑屋敷と

蜑の男狭磯の墓のすぐ隣りの高台に、

人丸神社が鎮座している……

しかも、この人丸神社の神宝は、

海人の柿本人麻呂像

海人の姿で小舟を漕ぐ柿本人麻呂……なのである!!

 

 

柿本という姓は、

孝昭天皇の後裔を称する春日臣の庶流に当たる。

だが人麻呂の出自については不明で、

生前や死没直後の史料には出自・官途についても記載がないのである。

なのに……

柿本人麻呂は「歌の神」と称され、

古今伝授の儀においても柿本人麻呂の肖像を床の間にかける。

なにゆえ柿本人麻呂は歌人たちにそこまで崇められたのか。

阿波国

里浦にある人丸神社

歌人の秘事とは何なのか。

また人丸神社の神宝【 海人の柿本人麻呂像 】とは?

まったくもって柿本人麻呂は謎めいている。