アサギマダラ。写真はお借りしました。
今日は、
ブログをお休みするつもりでいたけれど書く事にした。
アサギマダラの学術名を知って書きたくなったのだ。
アサギマダラの学術名は、
Parantica sita niphonica【 パランティカ・シータ・ニッポニカ 】という。
Wikipediaで調べるとパランティカ・シタと書いてあるけれどシータとなっているのもあって。それならわたしはシータの方がいいな。
シータ
θもそうだけれど、真っ先に頭に浮かんだのは、天空の城ラピュタ。
画像はお借りしました。
シータの正式名は【 リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ 】
トエルは「真」を、
ウルは「王」を意味するラピュタ語。
だからリュシータ・トエル・ウル・ラピュタは、ラピュタの真の王リュシータ。
天空の城ラピュタの元ネタは、
1726年にジョナサン・スウィフトによって書かれた『ガリヴァー旅行記』なのね。
その第三篇に巨大な磁石によって浮遊するラピュタという島が登場する。
これが飛行石によって浮遊するラピュタのベースになっている。
しかもこのラピュタがどこにあったかというと……
日本の近く。
太平洋側にラピュタはあった。
これは『ガリヴァー旅行記』に掲載されているラピュタの地図である。
ラピュタと日本の間には2つの大きな島が描かれている。
バルニバービとラグナグ。
これを見た時、竹内文書の地図を思い出した。
日本の太平洋側にある2つの大きな島。
ミヨイとタミアラ。
これはバルニバービとラグナグと同じではないか?
ちなみにこのミヨイとタミアラはムー大陸と関係があるようで、
『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻』という怪しげな書物によれば、
鸕鷀草葺不合王朝69代神足別豊鋤天皇の時代に、
ミヨイとタミアラという島が陥没( 水没 )したと記されているのだ。
もしかしたら『ガリヴァー旅行記』のラピュタの地図はこの竹内文書の地図を参考に描かれたのかも知れない。
話を戻す。
渡り蝶アサギマダラ。
学術名はParantica sita niphonica【 パランティカ・シータ・ニッポニカ 】
シータは、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神の妻ラクシュミーという女神の別名である。
アサギマダラの学術名『シータ』もそこから取られたという説もある。
ラクシュミー。画像はお借りしました。
ラクシュミー。
別名はシータ。
ヒンドゥー教の女神で、美と富と豊穣と幸運を司る。
水に浮かんだ紅い蓮華の上に乗った姿で描かれる。
乳海攪拌( 天地創造 )の際に誕生し、ヒンドゥー教の最高神の1人ヴィシュヌ神の妻。
シータは極めて古い女神である。
吉祥天。画像はお借りしました。
シータ
ラクシュミー
仏教においては吉祥天となる。
吉祥天は福徳を司り、毘沙門天の妃でもある。
七福神に関する面白い話がある。
かつて吉祥天が七福神の一柱として祀られていた記録が存在するそうな。
寿老人と福禄寿を1体として、吉祥天を含めて7尊とした時代があったと。
ところが気の強い弁才天が策略をめぐらせて吉祥天を七福神の座から追い出し、
自らが毘沙門天の隣に立つことになったという。
このため現在では七福神の中で唯一の女神として弁才天が定着し、
吉祥天は七福神から外されてしまったようである。
アサギマダラ
学術名パランティカ・シータ・ニッポニカ。
天空の城ラピュタのシータ
ヒンドゥー教の女神ラクシュミー
そして吉祥天
シータを探してふらふらと彷徨う記事になってしまった。
画像はお借りしました。
ちなみに、
アサギマダラの主な移動ルートがこちら。↑
アサギマダラは春になると南から北へ、
秋になると北から南へと長距離移動するのである。
特に春は台湾や南西諸島から本州〜北海道へと北上し、
秋は北海道や本州〜南西諸島や台湾へと南下することが知られている。
この図でわたしのアンテナが立ったのは【 裏磐梯 】だ。
デコ平のアサギマダラ。画像はお借りしました。
裏磐梯のデコ平は、
国内有数のアサギマダラの飛来地として知られているそうな。
毎年夏になると多くのアサギマダラがヨツバヒヨドリの花の蜜を求めて、
7月下旬〜9月上旬頃までデコ平に滞在し、初秋に南へと旅立つと言われている。
わたしは、りまりまさんのアサギマダラの記事を読んだ記憶があるが、
裏磐梯がアサギマダラの飛来地ならば彼女もきっとその事に触れたはず。
不思議なことにその記事は探しても見つからなかったが確かにわたしは読んだのだ。
消えたりまりまさんの記事。
それはフワフワと舞うアサギマダラのように、
氣まぐれに常世へと渡ったのかも知れないと、わたしは思っている。







