あの日まで あの地震の日まで

私たちは本当に生きていたのだろうか?


毎日をただ何となく 惰性に流されるように

何も考えず 何も感じず 生きていたのでは

ないだろうか?


人生の意味など考えたことなどなかったのでは

ないだろうか?


心の底から毎日を生きていただろうか?


生きるというのは現象ではない。


生きるというのは動詞であり、

意志による行為だ。


その証拠に私たちは自ら命を絶つことだってできる。


私たちはあの日から生きることを意識した。

生きるという本当の意味を探した。問うた。


あの日の出来事を建設的な意味で、

私たちは忘れてはならない。


少なくとも私自身は忘れたくない。

ある一人の男が人生に生きずらさを感じ苦しんでいた。

仕事も、プライベートも、自分との関係も上手くいかず、

もはや彼は疲れ切っていた。


彼はある山奥にある寺に修行に行くことを決意した。


『修行を通して何かを変えられるかもしれない』


彼はそんな期待を抱いていた。



険しい山を登り、ようやく彼は寺にたどり着いた。

奥ゆかしい雰囲気の漂う、日常とはかけ離れた

神々しさすら感じさせる場所であった。


『ここでなら自分は変われるかもしれない』

彼の期待は膨らむ一方だった。


彼は戸をたたき僧を訪ねた。


僧『何か御用でしたか?』

男『ここで修業をさせてください。自分を変えたいんです。』


僧は彼に耳を傾けた。

そして答えた。


僧『わかりました。あなたの願いを叶えましょう。』

僧は続けた。

『それでは今すぐ山を下りなさい。山を降り、

日常という現実を誠実に、そして精いっぱいに生きなさい。

それでしかあなたの願いは叶わない。

価値というのは非日常の中にあるものではなく

紛れもない現実の中に横たわっているのですから。』




生きること。それは幸も不幸も含んでいる。

幸せだけの人生はあり得ない。

かと言って不幸だけの人生もあり得ない。


生きること。それは楽も苦も含んでいる。

楽しいだけの人生はあり得ない。

かと言って苦しいだけの人生もあり得ない。


生きるとはそういうことだと思う。